三つの碑に思う



ビルマ英霊顕彰会副会長 桑木 祟秀


八月四日、金沢の石川県護国神社の社域に、「大東亜聖戦大碑」という名の高さ十二メートルの大碑が建立され、除幕式が行われた。式典委員長は元関東軍参謀草地貞吾氏、実行委員長は「日本をまもる会」会長の中田清康氏で、式典には約千名が集まるという盛況であった。私も、草地氏を最高顧問とする「日本民族覚醒の会」(会長故山崎幸一郎氏)に設立当初から関係していた立場から、これに参加した。

式は石川県護国神社の鏑木宮司主宰による神事に始まり、厳粛に行われたが、中で私が最も感激したのは、来賓としてわざわざ台湾から参加された許国雄先生(高雄の大学学長)の喜びの御挨拶であった。台湾からは他に鄭春河先生らも顧問・委員として参加して居られるが、ブラジルの村崎道徳氏や、更には朝鮮の人の名も賛助者名(碑に刻名)の中に見られ、この碑が日本人だけで作られたものでないことが分かって感動した。建立副委員長としては米沢外秋・名越二荒之助・中村粲の三氏。顧問・委員としては板垣・奥野・小堀・清瀬・冨士・小田村氏ら錚々たる方々の名前が見られる。


さてここで、何故に「大東亜()戦」なのかが問われるわけであるが、これまで慰霊碑は沢山あっても要するに英霊の慰霊以上のものではなく、この大東亜戦争が英霊のお蔭で白色人種の植民地を解放し、万民平等の世界をつくった―――そのことを日本人は世界に誇るべきであるのに、日本は侵略戦争をした、アジアに迷惑をかけたなどと謝罪ばかりしている。広島でも、国際法無視のアメリカの原爆にやられたのに、「二度と過ちは繰り返しません」などと、まるで日本が悪かったように反省している。だから日本の総理も、A級戦犯が靖國神社に合祀されているから参拝は怪しからんと言われると、近隣諸国を考慮してなどと言って参拝し得ないでいる。こうした日本の空気を、日本人の心を一新しようと言うのが、この()戦大碑建立の意義であろう。台湾の許・鄭両先生らが喜んで賛同されたのも、このためではなかろうか。

来年からは毎年八月四日に石川県護国神社のこの大碑の前で大東亜聖戦祭が行われることになり、平成十三年の靖國歴にもこれが記載されている。


ところで、金沢にはもう一つ大切な碑がある。それは「清水(トオル)博士顕彰碑」で、今度出た「大東亜聖戦大碑」のすぐ脇にある。

清水澄博士と言っても知らない人が多いであろうが、有名な憲法学者で、日本の最後の枢密院議長である。昭和二十二年五月三日、新憲法が実施されるや、これが施行によって日本国体は危うくなることを憂えられ、同年九月二十五日、熱海錦ヶ浦海岸から投身自殺された。その碑には、中国の戦国時代に汨羅(ベキラ)の渕に身を投じた憂国の士、楚の屈原の故事に倣ったことが誌されている。

日本国憲法によって民主主義の日本が生まれた、などと信じている日本人が今も少なくないが、この憲法によって如何に日本が駄目になるか、清水博士は正に今日の日本を予見され、深憂されたのである。


もう一つ、金沢ではないが、京都の護国神社社域にパール判事の記念碑があり、六月に京都で学会(医学会)があった折りに訪問した。印度のパール判事は、東京裁判で唯一人「全員無罪」を主張した国際法学者であるが、広島の原爆記念碑にある「二度と過ちは繰り返しません」の文字をみて、心から嘆かれたと言う。

東京裁判史観によって、日本は侵略国家だ、中国にも朝鮮にもアジア諸国にも悪いことばかりした、これからは二度と戦争をしてはいけない(自衛戦争も)、平和に徹しなければいけない―――などと思い込んでいる限り、日本人は永久に誇りを持つことはできないだろう。その意味で、この三つの碑は東京裁判史観や日本の憲法に「ノー」をつきつけるものと言えよう。日本人よ、もう目を覚まそうではないか。


(烈・一二四会 元軍医)


平成12年8月25日 戦友連379号より


【戦友連】 論文集