野中元官房長官の靖國発言について問う



英霊にこたえる会中央本部 倉林 和男


昨十一年八月六日の、野中官房長官による記者会見での靖國神社の環境整備を求める発言は、その後の進展のないまま推移していたが、さる七月十一日、自由民主党は党五役等十名で靖國神社問題懇談会(「靖國懇」)を発足し、今年中に提言などを取りまとめるとした。

正確を期するうえから、記者会見時の発言を朝日新聞から引用すると

「だれかが戦争の責任を負わなくてはならない。A級戦犯の方々に第二次大戦の責任を負ってもらい、その方々を分祀する。靖國神社は、できれば宗教法人格をはずして純粋な特殊法人とし、宗教を問わずに国民全体が慰霊できるようにする」

「各国首脳が来日した時に、わが国の戦没者の国立墓地として献花していただけるような環境をきちっとしておくべきではないか」となっている。この記事が果たして正しく報じられているか否かは定かではないが、各紙ともほぼ同様の内容で報じているところからみると、このように発言したのであろう。

この発言は、靖國神社についての認識も、極東国際軍事裁判(東京裁判)のなんたるかも理解していない。ひたすら自虐史観に立脚しての発言ということがいえる。

本稿では、東京裁判の不法、不当性等には言及せず、今回、靖國懇の座長となった野中幹事長に、質問する形で進めることとする。






  1. あなたが言っている「A級戦犯」とは、合祀、分祀との関係でどのような人を指しているのですか。



    いわゆるA級戦犯に指名され、逮捕、拘禁された人は、約二百五十名を数える。この人々をその後辿った早期釈放、B級への移管、起訴された後の免訴・病死、あるいは、判決後の獄死等々により分類すると、十数種に区分することができる。

    その中で起訴されてA級戦犯として法廷に立たされた人が二十八名であり、判決は裁判当初に発狂して免訴となった大川博士と、裁判の半ばで病死した松岡元外相・軍令部総長であった永野元帥の三名をのぞいた二十五名であった。

    その結果全員有罪、東條元首相以下七名が絞首刑、平沼元枢密院議長以下十六名が終身禁固、東郷・重光の両元外相が二十年と七年のそれぞれ禁固となり、今日、靖國神社に合祀されている方は、絞首刑となった七名と前述の裁判中に病死した二名、判決後獄死した五名の計十四名の方々である。靖國懇で分祀の対象としていると考えられるのがこの方々であろうが、そう単純に割り切れるものであろうか。

    二百五十名のA級戦犯と指名された方の中には、敵の軍事裁判にかけられることを潔しとせず、自決された方がおられる。その中に支那事変・大東亜戦争勃発時の陸相・参謀総長であった杉山元帥、同じく大東亜戦争開戦時の厚相の小泉軍医中将、満州事変時の関東軍司令官の本庄大将がそれぞれ合祀されているが、さて、これらの方についてはどのように考えているのであろうか。

    さらに、立場をかえて米国の側に立ってみた時に、戦死していなかったとしたら、当然のこととして、訴因の一つとなっている真珠湾騙し討ちの実行者であるとして、連合艦隊司令長官の山本元帥と、対米最期通牒手交時間を、当初の奇襲一時間前から三十分前とした軍令部次長の伊藤大将(後戦艦大和の第二艦隊司令長官)が、起訴されていたであろうことが十分考えられるが、このお二人は一般戦没者として合祀されているが、どのように解釈するのであろうか。

    そもそも二十八名の方が選定された過程をみると、キーナン首席検事の下で十四回の委員会とその後の二回の参与検事会議で選定している。(「大東亜戦争とは何か」田中正明著・昭五八・五・二〇 日本工業新聞社。「新資料発掘 東京裁判の被告はこうして選ばれた」粟屋憲太郎記 昭五九・二・一号 中央公論)

    当初キーナンは、「二十名を越えず、十五名が望ましい」といっているように、最初に結論ありきで、その日の気分しだいで二十六名が決定し、マッカーサー元帥の承認をえていたが、最も遅く到着したソ連の検事の、さらに五名追加の横車に応じて、奇しくも降伏文書に調印した重光元外相と梅津大将の二名のみを加えての二十八名となったのである。

    要は法廷の被告席に何人収容できるかという、キーナンの単純な発想による最大限の二十八名であったことを認識すべきなのである。






  2. あなたは「戦争責任」と言っていますが、それは中国の言う「侵略戦争の責任」を指してのことですか。



    確かに東京裁判では、わが国が侵略戦争をしたという大前提の下に、二十五名に判決を下しているのであるが、東京裁判の事実上の執行者であったマッカーサーが、解任後の一九五一年(昭二六)五月三日の米国上院軍事外交合同委員会で、「日本が戦争に突入していった動機は、その大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と証言し、さらに、「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは、共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」(「東京裁判日本の弁明」小堀桂一郎編 平七・八・一〇 講談社)と所信を吐露している。

    つまり、マッカーサーが侵略戦争として裁いたわが国の一連の事変、戦争を、彼が朝鮮戦争で体得した結論が、「誤りであった」「侵略でなく自衛の戦であった」と言わしめたのである。

    さらにまた、これに関連しての事柄として、昭和三十九年七月十日、日本社会党の佐々木委員長が訪中しての毛主席との会談時のことであるが、委員長が日本の中国侵略を謝罪したのに対し、首席は「何も申し訳なく思うことはない。日本軍国主義は、中国に大きな利益をもたらした。中国人民に権力を奪取させてくれた。日本の皇軍なしには、われわれは奪取することはできなかった」旨、会談中数回にわたって語っているのである。(「毛沢東思想万歳」下巻 東京大学近代中国史研究会訳 昭五〇・三・三一 三一書房)

    これは首席の世辞でも外交辞令でもなく、昭和三十一年に訪中した遠藤(三郎)中将にも同様に語っている。(「毛沢東 外交路線を語る」太田勝洪編訳 昭五〇・三・一五 現代評論社)

    またケ主席も、昭和五十二年十月七日に訪中した三岡元陸将に、「毛主席は、常々『過去のことは水に流そう』と言われた。しかも実際は、日本が中国を助けたことになっている。日本が蒋介石を重慶まで押し下げて呉れたので、我々は日本軍の占領地域の後方に広がった。そして八年間に三万から百二十万に迄増えたし、さらに数百万の民兵まで作った。我々は、百二十万を以て三年間で蒋介石軍を打ち破った。それゆえ皆さんだけを責めるのは不公平だと思う。」と具体的に語っている。(「自衛隊将軍ケ小平と会す」三岡健次郎記 昭五二・一二・一号 軍事研究)

    これは共産革命を共にした両首席の本心であり、盧溝橋事件の発砲こそ誰であったかを物語る一事であり、侵略云々を言われる筋合いのものではないことを為政者たるものは篤と銘記すべきことなのである。






  3. ところであなたは、A級だけ分祀すれば中国が容認すると考えているのですか。



    平成十一年一月十三日付産経新聞が伝えるところによると、中国の官営英字紙チャイナ・デーリ(十二日付)は、A級だけでなくB級も問題視していることを報じている。

    この分でいくと、次はC級、その次は中国大陸を侵略の軍靴で汚した日清戦争以降の一般戦没者の分祀をと、言い掛りを付けてくることは明白である。

    そしてまた、本年九月十三日付産経新聞は、朱首相が、同月十二日訪中したわが国の国会議員団と会見した折り、議員団が、「最近の海洋調査の艦艇の日本の排他的経済水域への立ち入りなどで、日本国民は非常に不愉快に思っている」との表明に対して、「日本のやりかたがわれわれの感情を害する場合もある」として、その実例として「A級戦犯を祭(そのまま)った靖國神社に閣僚が参拝することも同様だ」と語ったと伝えている。

    さて、これが中国の価値観、国際認識なのであり、しかも一国の宰相の言であることを重視すべきである。

    そもそも中国は、蒋介石から毛沢東に政権を異にしても、国としての国際法上の一環性からいって、東京裁判には国民政府として、判・検事を送り、昭和二十七年に日華平和条約を交わし、同年八月五日の発効日を期して中国(国府)関係の全戦犯を解放し、次いで最後までサンフランシスコ平和条約十一条でA級として拘置されていた、軍務局長であった佐藤中将を、三十一年三月に中国を含む東京裁判関係十一ヵ国の同意をえて釈放した時点で、東京裁判に関しての日中間の諸問題は終止符が打たれたことを認識すべきであろう。

    戦後五十五年、独立国の根幹にかかわる靖國問題が、靖國懇を設けて云々するといった現状は嘆かわしい限りであり、姑息な政治姿勢で逃避して悔いを千載に残すことの無きよう警鐘するものである。




平成12年10月25日 戦友連381号より


【戦友連】 論文集