――― 日 本 の 心 を 語 る ―――
愛国心は愛の心の養殖池



学習院大学教授  篠澤 秀夫




この記事は、日本会議の記者が篠澤教授をインタビューしたものです。日本会議の月刊誌「日本の息吹」12年8月号より転載しました。

篠澤先生は昭和8年東京生まれ、フランス語を独学し、アテネ・フランセにも入校。学習院大学卒、東京大学大学院修士課程終了後、フランス政府給費留学性としてパリの大学に学ぶ。明治大学教授を経て、昭和48年より学習院大学教授をしておられます。








先生は「愛国心の探求」という本を出しておられますが、フランス文学専攻の先生と愛国心とがどうつながるのか、興味津々でやってまいりました。



篠澤 フランス、そして愛国心の探求、そのどちらも昭和二十年八月十五日、十二歳で敗戦を迎えたときの私の心の風景に遡ります。当時小学六年生でしたが、たった二、三週間で世の中がひっくりかえるというときに遭遇したわけです。それで、「ああ、みんな言うことを変えるな」と観察していた。昭和二十一年に入った新制中学では、体操の時間に先生が、「はい、ばらばらに立ってください」と言う。「ははぁ、これが民主主義というやつか」と。前年に整列を禁じるという指令が進駐軍から出ていたのですね。整列させて号令かけたら、「軍隊教育を強制した」とみなされて、先生が逮捕されてしまう、そんな時代だったのです。

それでも敗戦直後には、「我々はアメリカに物量で負けたのであって、日本精神、大和魂は負けていない」と言われてましたから、それが心の張りをつくっていた。ところが、八月二十日頃の新聞に、「陽気なアメリカの兵隊さん、ジープという軽快な自動車に乗って」という見出しが踊った。ちょっと待ってくれ、と思った。「兵隊さん」という言葉は、「優しい日本の兵隊さん」「兵隊さんよありがとう」というように、「日本の兵隊さん」に決まっていたではないか。十日前までは鬼畜米英といっていたのに、何がアメリカの兵隊さんか!と。「これはだめだ。精神においても負けたのだ」と。それから私は新聞を信用しなくなりました。

しかし私は、精神でも負けたのであれば、敵の精神を研究しなければならない、と思って、英語を勉強しはじめました。ところが、ある日、英国史について書かれた本を読んで驚いた。なんだ、イギリスの王様はフランス国王の臣下じゃないか、と。つまり、一〇六六年にフランスのノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服して以降、イギリス王家はその血を継いでいるわけです。それを知って、ヨーロッパの精神を知るには、英語なんかじゃだめだ、フランス語を勉強すべきだ、と決意して独学していったのです。






そういうお気持ちが戦後一貫しておられたということは、たいへんなことですね。



篠澤 私は「大日本帝国」と自分を切り離さなかったんです。周囲が占領軍の言葉である英語の習得に奔走するのを見て、わざわざフランス語を選択したのも、少年なりの占領軍に対するレジスタンス(抵抗)だったんです。






国語の普及は国防である



篠澤 フランスは日本とは類似点が多い。民族的基礎であるケルトと縄文の自然信仰、国家の資源であるフランク王国と大和朝廷、統一国家をもたらしたナントの勅令と関ケ原の戦いなど、同時並行的に歴史が進行していることは実に興味深いところですが、なかでも国民国家を形成したフランス革命と明治維新は、世界史的にも重要です。今日でも国民国家が確立しているといえるのは、ドイツ、イタリアなどほんの数ヵ国しかありませんが、それがどんなに幸せなことかは、たとえばコソボ紛争の悲劇などをみればわかるでしょう。フランスに次いで世界で二番目の国民国家を生み出した明治維新という偉大な事業は、世界史的視野で正当に評価されるべきものなのです。

さて、フランスと日本の最大の共通点は?と聞かれたら、共通語の普及が徹底していることと答えたい。フランスほど母国語を大切にし、その普及に力を注いでいる国はない。国語の普及は国防なんです。フランス語が「フランスはひとつ」という統一感をより支えている。つまりフランスのアイデンティティはフランス語だ、といっていい。だからフランス文学専攻というと、理屈抜きで尊敬されます。のみならずフランス語はヨーロッパ全体で高い地位を占めている。ドイツやイタリアのレストランでフランス語で注文したりすると、店の対応が俄然よくなります。






英語を公用語になどという日本の一部の識者の主張がばからしく聞こえますね。



篠澤 西暦の二〇〇三年から、日本の中学では国語が週二時間に減らされるそうですね。ちなみにフランスでは国語は週五時間取ってあります。






「見ない愛」に殉じた特攻隊



国語の軽視は自国の文化の否定の風潮につながります。



篠澤 嘆かわしいことに、進駐軍が敗戦した敵国を戦時宣伝のまま見たのと同様な眼で、戦前戦中の日本を断罪する日本人がいるのですね。私は「進駐軍の手先の弟子」と呼んでいますが、たとえば、彼らは特攻隊の悲劇を「平和教育」の材料にして、ファナティック(狂信的)な愚行扱いする。隊員たちの心の真実に迫ることをまったくせずに。

私は特攻隊の行為は愛である、と思います。恩師のモーリス・パンゲ先生は、『自死の日本史』という本に特攻隊について書いておられます。世界の歴史の中で、決死隊というのはいろいろあった。しかし特攻隊の場合は、死を覚悟してから自死を決行するまでの期間が長い。そのための訓練を受けている、ときには何ヵ月も。これは他に類を見ない。だから、一時の感情に駆られてとか、狂信というようなことではない。自分で納得しなければできない行為なのだと、パンゲ先生は書いておられる。

私は、霞ヶ浦の特攻隊の記念館に行ったことがありますが、そこに展示されている写真の中の出撃前の青年たちの目は、なんと澄んで美しいことでしょう。彼らは日本のアイデンティティを確かめるために、死ぬことを受け入れた。多くの特攻隊員は、戦争は負けるだろうということを現地で感じている。それでも敵艦に突っ込んでいく。何のためか。そのことによって、日本というものはこうだったんだよ、ということが後世に確認される。それは戦争に負けようとも、やがて引き継がれていくだろう。つまり、彼らは自分の家族のためだけでなく、見たこともないわれわれ、残された子孫のために、つまり「見ない愛」のために死んでいったのです。今もわれわれは彼らの愛の中に生きているのです。

フランス留学中に、パリの映画館で特攻隊の実写フィルムを見たことがあります。何機も何機も落とされるが、ようやく見事に一機が敵艦に見事命中した。すると、フランス人の観客から拍手が沸き上がった。観衆は特攻隊の気持ちを忖度して、悲劇が達成した瞬間を感動をもって受け止めたのです。私は思わず「メルシー(ありがとう)メルシー」とつぶやきました。感銘深い思い出です。






天 皇 の あ る 風 土
―戦前戦中戦後、日本はひとつ―



まさに愛国心への共感ですね。そのような世界と今日の日本の世相とのギャップは大きいと思いますが、今の日本へのメッセージを。



篠澤 愛国心を知れば自己の範囲が広がり、愛のエネルギーも増し、より多くの人を愛せるようになる。つまり、愛国心は愛の心の養殖池なのです。特攻隊の深い愛は、その極致といえるでしょう。ところが、戦後の日本の若者のおかれた教育環境では、自分が帰属する国家共同体に肯定的イメージがもてないようになっている。その結果、アイデンティティが揺らぎ、自己拡大ができず、小さな自己のまわりでウジウジ暮らすことになる。私がフランス留学で悟ったことのひとつは、自分が日本人であることから逃れられない、ということでした。何げない日常生活の中で、日本の文化に属している自分をいやでも発見してしまう。そうして日本という国、文化、文明に思いが致されると、自分の輪郭がはっきりして来るんですね。自分が係わって行く共同体の肯定的イメージが持てれば、精神的に安定する。

フランスの幸せなところは、古い歴史的なフランスと今のフランスとが、ずっとつながっていることを何の抵抗もなく思えるところなんです。しかし日本は、それ以上に連続している。それを可能ならしめているのが、天皇なんです。つまり、天皇は日本の同一性の原理なんです。

私は、何か揮毫を求められると、最近では「戦前戦中戦後、日本はひとつ」と書きます。これが日常の心でスーッとわかるようになれば、アイデンティティが安定して、みんな幸せになれる。そして戦前戦中戦後同じ天皇を守り続けたことで実現している。「天皇のある風土」―――これが日本であり、天皇は日本文化の中核であり、敬語の頂点としての日本語文法の要なのです。ここに特攻隊員が「天皇陛下万歳」と叫んだ意味がある。それは決して個人崇拝的な次元のものではなく、国家の継続性、永遠性への祈念だった。つまり、日本国家の継続性を担われるのが天皇である、ということなのです。

戦前戦中戦後、日本は同じひとつの国であり、その連続性のある国家共同体に自分が属し、それを支えると覚悟できれば、個人のアイデンティティも揺るがないのです。それこそ若者を根本的に救う道ではないでしょうか。








「相対性原理」で有名な
アインシュタイン氏
日 本 を 賞 賛



大天才、A・アインシュタインが、第一次大戦後、大正11年11月18日に来日したとき、伝統のある万世一系の日本文化に感銘を受け、次のように語ったという。

近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが、今日の日本をあらしめたのである。私は、このような尊い国が世界に一ヶ所位なくてはならないと考えていた。

世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返えされて、最後に戦いに疲れる時が来る。その時、人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならなくなる。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古く、また尊い家柄でなくてはならない。

世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それは、アジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。

我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくって置いてくれたことを・・・・・・・・・・。


(注) この記事は、高崎経済大学元学長の三瀦(みつま)信吾氏が主宰する三瀦修学長の会報「八重雲」(平成12年6月号)より転載しました。



平成13年1月25日 戦友連384号より


【戦友連】 論文集