建国記念日の感激



熊本市 藤尾 勇喜


拝啓 先日二月十一日、熊本市民会館で、主要祝日等熊本県奉祝会の主催で建国記念日の奉祝式典が執り行われ、数百名が参集して厳粛且つなごやかに催されました。

知事、市長の祝辞にはそんなに感激を覚えませんでしたが、済々黌高校二年の坂井陽美(はるみ)さん、九州福祉大学一年の山下正順(まさのり)君、両名が述べた奉祝の言葉には大変感動しました。翌日、さっそく主催者の大神宮宮司本田義雄様にお願いして、両人の文章をコピーしていただきましたので、同封いたします。

最近いやな問題の多い社会にも、こんな立派な青年男女が熊本に居てくれたかと思えば、嬉しくて涙がこぼれました。二十一世紀にはこんな人々がジャンジャン増えて、古来からの日本のよい姿に改革せねばならぬと、勇気が湧いた次第です。

済々黌の現校長先生は、私は残念ながら面識がありませんでしたが、「貴校の生徒さんの建国記念日の奉祝の言葉が素晴らしかったので、コピーを持参しました。お読みになってください」と申し上げましたら、大変喜んでいただき、私も嬉しくなり、四方山話に花を咲かせて退出致しました。お陰様で清々しい日々を過ごすことが出来、喜んでおります。

(後略)

平成十三年二月十八日

 藤尾 勇喜





坂井陽美さんの奉祝の辞



建国記念の日、おめでとうございます。この度は、このような機会を頂きましたことに、心から喜びと感謝を申し上げます。

皆さんご存知のように、我が国は今年で建国二千六百六十一年を迎えました。そして、今日この日は、我が国最初の天皇、神武天皇が御位(みくらい)につかれた日であります。この日本国建国にあたっての神武天皇のお気持ちは、『日本書紀』にこう記されています。

「今、私はこの橿原(かしはら)の山林を開いて慎んで天皇の位につく。これから、この国の民が心安らかに住める平和な世の中にしたいと思う。この国が神の住まいにふさわしい清らかな所となり、他の国もそうなったならば、世界は一軒の家のように仲むつまじく、平和な世界となるだろう。それは、なんと素晴らしいことではないか。」

このことから分かるように、日本民族国家の建国精神というものは、決して、自国のみを愛し他国の衰亡を願うというような侵略精神ではなく、この日本国は「世界総国家の大調和」の理想をもって建国されました。つまりこのご宣言は、世界の各国すべてが家族として、家庭の一員として、仲良く繁栄する国家群となるための礎として、この日本国を建てるという意味を持っているのです。私は、日本の長い歴史の中でこの建国の理想が途絶えることなく、第百二十五代にあたる今上陛下にも受け継がれていると思うと、感銘を受けずにはいられません。

日本国の中心に()しまして、国民からの心からの敬仰(けいぎょう)を受けられた昭和天皇陛下におかれましては、あの終戦時においてすら、すべての指導者が一切手を引いてしまった後、ただお一人でその収拾に当たられたのです。

これは昭和天皇とマッカーサー元帥の御会見のときのことです。マッカーサー元帥は、「天皇はご自身の命乞いに来られたのだ」と思い、服装も改めずお出迎えもせず、自分の居室で陛下を迎えました。しかし天皇陛下のお言葉は次のようでした。

「自分は今度の戦争に関して重大なる責任を感じている。又、皇室財産は司令部の処置に任せる。どうか日本国民をこれ以上苦しめないで貰いたい。」

数千年の世界の歴史の中で、民族の興亡は幾度となく繰り返されてきました。しかしながら、国民を庇って身命を捨てる君主のあることを知らなかったマッカーサー元帥は、このような陛下のお姿を熟視してどのように感じたのでしょうか。彼の回顧録にはこう書かれています。

「・・・・・・・・・・大きな感動が私をゆさぶった。死をともなうほどの責任、それも私の知りつくしている諸事実に照らし、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとされる。その尊厳と慈悲に私は骨の髄まで感動した。この方は生まれながらの天皇であるが、その瞬間、私は日本最高の紳士と向かい合っていることに気が付いた。」

そして御会見が終わり、昭和天皇のお帰りの際には、いとも鄭重に玄関までお見送り申し上げたそうです。

私は昭和天皇のこのような、私心(わたくしごころ)を捨てて国民のために全力を尽くすお心に大変感動しました。今日ではこのようなことを学ぶ機会は少なくなってきたようですが、私は、この日本国の素晴らしさ、天皇陛下の偉大さを少しでも多くの方に正しく理解して頂きたいと思います。何故ならば、自分の生まれた国の本当の価値を知ってこそ、他の国への理解もより一層深まるものだと思うからです。

そして、相手の国が大切に守ってきた歴史や、伝統、文化を正しく理解し、自分の国との違いをよく知った上で、仲良く付き合うことが大切だと思います。そうすることにより、そこに生きる人々、また自分自身の価値をも見出すことになるかもしれません。

二千六百六十一年というこの長い歴史の中で、我が国の歩みは常に変わることなく、「民安かれ、国安かれ。」と祈り続けてこられた歴代天皇陛下と共にありました。たとえどんなに時代が変わろうとも、これは遠い昔から変わることのない天皇陛下のお心であり、今も、そしてこれからも受け継がれていくのだと思います。

このように、全人類のために祈る元首を戴いている国は、世界の中でも唯一日本しかありません。我が国は、天皇陛下が国民の幸せと世界の平和を祈り、それに応えた国民が天皇陛下の弥栄(いやさか)を願うというように、相互の心が通い合うことによって、これまで続いてきたのです。

私は、日本国の象徴としてこのような素晴らしい天皇陛下を戴くこの国に生まれたことを、大変誇りに思います。本日は本当におめでとうございます。ありがとうございます。

 平成十三年二月十一日

熊本県立済々黌高校二年

坂井 陽美(はるみ)





山下正順君の奉祝の辞



本日は建国記念の日おめでとうございます。

今年は神武天皇が即位されて二千六百六十一年になります。神武天皇は即位の式に臨まれて、

「いやしくも民に利あらば、何ぞ聖の(わざ)に妨はむ」

「少しでも民衆の利益になることを踏み行えば、どうしておのずからそれは聖賢の道に(かなわ)ないことがあろうか。」

と仰せになっています。

このようなお心は、歴代天皇陛下に受け継がれています。昭和天皇様が終戦のおり、

 爆撃にたふれゆく民の上を思い
   いくさとめけり身はいかならむとも

と歌われ、「自分の身はいかになろうとも国民を救いたい」と仰せられたことや、今上陛下が、阪神大震災、雲仙普賢岳等の被災地に一早く駆けつけられ、被災者の方達一人一人と膝をついてお話になられたお姿にも表われていると思います。

私は昨年、神武天皇が即位されたゆかりの地、橿原神宮を訪ねました。そこで私が感じたことは、この橿原という、かつて神武天皇が即位された地に、二千六百六十一年を(へだて)て今自分がいるという感激でした。歴代天皇が受け継いで来られた建国の精神や願いが、この神宮にはこもっていると感じたからです。

この建国の精神は、今なお皇室において受け継がれています。一昨年の熊本国体に天皇・皇后両陛下がおいでになられたおり、沿道での奉迎や提灯行列に多くの県民が参加しました。私も提灯行列に参加したのですが、県民の「ばんざい、ばんざい」の歓呼の声に、いつまでもいつまでも手にされた提灯を振っておられたお姿に、「国民を第一にする」という建国の精神を感じました。

最後になりますが、私は橿原神宮の近くの等弥神社で、皇紀二千六百年に建てられた記念碑を見る事ができました。その石碑には、神武天皇の願いをいつまでも受け継いで行こうとする国民の心が感じられました。そして、皇紀二千七百年の時迄、この願いを国民として受け継ぐのは私たちであると思いました。

今後、時代をになう日本の青少年にこの心を伝えて行きたいと思います。

九州福祉大学

山下 正順(まさのり)



平成13年3月25日 戦友連386号より


【戦友連】 論文集