正常国家となる為に





横浜市  田村 一


自由党総裁小沢一郎氏曰く、「日本が普通の国(正常な国家)になる為には、先ず憲法改正(特に9条)と東京裁判史観から脱出することである」と。




一、米国製即席強制憲法について



現在の日本国憲法は、戦後、対日占領軍マッカーサー司令官の命令で、部下が僅か一週間で作成した米軍強制の即席憲法である。それを、旧社会党(現社民連)・共産党や進歩的(実は退歩的で対日占領政策迎合派=占領政策を利用して左翼革命を企図している)護憲派の面々は、改正に反対している。しかし先進国は、いずれも戦後五十年間に何回も憲法を改正している。

憲法は国の基本法であるが、時代に応じて改正するのが常識である。況んや敵国の都合で押しつけられた「間に合わせの強制憲法」であるから、尚更改正する必要がある。

憲法改正の機会は、過去に三回あったと言われる。一回目は昭和二十七年四月二八日の、サンフランシスコの平和条約発効日、二回目は平成三年、ソ連共産党崩壊の時、三回目は平成七年の、戦後五十周年記念の時である。三回とも、護憲派の反日的文化人に妨害された上に、決断力のない優柔不断な政治家揃いで改憲の機会を失ったと言われる。




二、東京裁判について



(1)   東京裁判の特質


ドイツを裁いたニュルンベルグ裁判と同様である。即ち、戦争の原因と理由の全べてを敗戦国指導者の野望と恣意に帰して、勝者は善であり正義であり、敗者は悪であり不正義であると規定して、自分達の悪事所業には目を(つむ)って知らぬ顔で、実に不公正極まる暴君的裁判である。



(2)   東京裁判史観を断ち切れ


東京裁判史観は、始めから敗者日本(戦前の強大国日本)を再起不能にするための戦略で、特に精神的に強力な日本人を骨抜き水母(くらげ)に、且つ負け犬の卑下根性に改造するのが占領政策の目的であった。所謂武士道的精神を抜き取ることに全力を傾注した対日占領政策であった。民主主義と称しながら愚民主義を押し付けたのである。教育勅語も放棄させて、人権尊重というまやかしで利己主義を助長し、民族の団結を破壊したのである。しかも独立の気概も喪失させ、米国の属国的な存在にしたのである。日本が一人前の独立国を望むなら、「東京裁判史観 」という戦勝国の呪縛から脱出しなければならない。

東京裁判の仕掛人である三人の主役(対日占領軍司令官マッカーサー元帥、ウェッブ裁判長、キーナン首席検事)は、裁判終了後帰国して、夫々が「あの戦争は日本の安全保障の為であり、あの裁判は大きな誤りであった。」と反省の発言を行った。これを考えると、「大東亜戦争」は正に日本自衛の聖戦であり、戦勝国が別称する「太平洋戦争」こそ、白人帝国主義侵略の不正義且つ悪の戦争であったことを白状しているのである。

大東亜戦争が間違った戦争でなかったもう一つの証拠は、戦争には負けたが、日本が多大の犠牲を払った結果、負けるが勝ちの「身を殺して仁を為す」の大成果を挙げたからである。それは戦後二、アジアからアフリカに及ぶ百ヶ国もの独立国が生まれた。それもイスラエルを除いては、皆有色人種である。東亜の一角で日本が頑張った努力で、白人の世界侵略を防止し、植民地の多数が解放された。アトランタ・オリンピックに一九七ヶ国の多くの国が参加出来たのも、日本が大東亜戦争を戦った成果である。

タイ国元首相クウリット・プラモート氏の次の言葉が何よりの証拠である。「十二月八日(大東亜戦争開戦日)を忘れるな。 日本のお蔭でアジア諸国は全べて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話が出来るのは誰のお蔭か?。それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったからである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。我々は此の日を忘れてはならない。」と。」





元陸軍海上挺進第35戦隊長





平成13年4月25日 戦友連387号より


【戦友連】 論文集