明日の日本の防衛担う自衛隊
新兵の「靖國神社」部隊参拝







去る五月十二日、陸上自衛隊第一教育団第一一七大隊第三三一中隊(横須賀市駐屯)の中隊長・増山幸三一等陸尉の引率する一三七名の隊員(今年四月入隊した下士官候補生)が、靖國神社に部隊参拝した。

この情報に接した戦友連有志は、当日早朝より神門前に集合し、彼等の壮挙を激励すべくその到着を待ち受けた。と同時に、彼等の要請に応えて、「孫たちとの会話」の著者で憂国の若人(わこうど)に人気のある桑木祟秀戦友に約一時間の講演を依頼し、その手配を整えた。

この日は雲一つない五月晴れ。一行は予定通り十時靖國神社到着、バス駐車場横の参道に隊伍を整え、中隊長の号令一下、拝殿に向かって参進し、拝殿前で部隊参拝を行った後、神社側の誘導で神道方式に則っての昇殿参拝も併せ斎行した。

靖國神社側でもその受入れに格別の配慮がなされ、時間を差し繰っての湯沢宮司の懇篤な訓話も行われ、また遊就館では、当日非番の小方遊就館長はじめ幹部総出で、新改築のため閉館中の展示場も特別に開館し、熱意溢れる英霊のご遺徳の説明には、隊員たちはもとより、案内協力方を買って出た我々戦友も、あらためてその感銘を深くした。







一三時半からの、戦場体験を交えての桑木戦友の靖國問題講演には、一同耳目を正して傾聴し、最後に激励の言葉を送るべく演壇に立った赤堀戦友の、「次回は是非制服での参拝を」との進言は、今日の靖國問題の原点を示唆するものとして極めて印象的であった。

事実、今回の増山中隊の靖國神社参拝は、上司の反対を押し切り、自己の信念に基づき強行されたものと聞き及び、その妥協の結果が、制服に代わる背広姿であったが、我々が目にしたものは、すべて軍隊調のきびきびとした部隊行動であったことに頼もしさを感ずると共に、増山一尉の教育者としての見識とその実行力に心からの敬意を表するものである。と同時に、靖國問題の解決にその本質を弁えない政界の現状と、事(なかれ)主義の防衛庁幹部の不見識には、憤を覚えずには居られない。

後日、今回の靖國神社研修により、隊員間に「使命の重要性を自覚した」「歴史認識が変わった」等の所見が出され、良好な成果を得たとの協力方からの知らせがあり、一部から「余計な事をするな」「私観教育だ」等の指導を受けたが、当中隊の伝統とする為、又正しき軍人育成の為にも、今後とも実行する考えなので支援してほしい旨、協力方から要請があった。杓子定規の組織運営に邪魔物扱いされずに、彼等の大成を祈ってやまない。

尚。今回の増山中隊と戦友連との出会いの橋渡し役となった我らが若き同志・北澤寛之氏から、本件に関して「靖國の参道にて」の一文が寄せられているので次に紹介する。







「それは桜花がすっかり散り、新緑の芽が一斉に芽吹き始めた五月のある平凡な靖國神社での週末だった。ただいつもと違っていたのは、一四〇名弱の新兵候補生が靖國の参道にて、正々堂々行進を行ったということだけである。言葉の通りそれはまさに正々堂々、公明正大としたものであった。

始めは照れくさそうに行進していた候補生の青年たちは、戦友会有志の方々の熱い声援が入ると、目の色を変え背筋を伸ばした。胸を張り、先輩方の期待を少しでも受け止めようとしているかのようだった。世代を超えて気持ちが伝わった瞬間である。実際行進が終わった青年たちは、『声援があって嬉しかったな』『なんだか気持ちよかったな』と隣にいる同志に語りかけていた。

私自身、自衛隊の行進を見たのはこれが始めてだった。一つの号令のもと、部隊が命を持った生き物のように動くさまは、正直私の気持ちを昂らせた。これが行進の持つ力なのか、まるで強い意志を持った一人の人間のように私には思えた。そして、自衛隊が背負っている任務の偉大さを痛感したと同時に、それを遂行しようとしている人たちへの感謝を感じずにおれなかった。

ところがである。この英霊への心からの感謝とご加護へのお願いという、国を守る任務につく人間にとって至極当然な行為が、非常に困難な状況の中で遂行されたらしいのである。自衛隊内部のことは全くわからないのだが、これを実行するにあたって、さまざまな壁がある中、誤解を受けながら実現されたということなのである。靖國神社を取り巻く政治的な問題がここにも如実に現れたのである。

自衛官という厳しい任務につこうとしている新兵候補生が、彼等の大先輩である英霊の前で、隊長の号令のもと、部隊行進をし、感謝の誠を捧げご加護へのお願いをすることが、果たして問題なのだろうか。これは生理現象にも似た、人間として自然な行為の表れではなかろうか。少なくとも、青年たちの目に翳りを見つけることは私にはできなかった。」




平成13年7月25日 戦友連390号より


【戦友連】 論文集