小泉総理八月十三日の靖國参拝が意味するもの





ビルマ英霊顕彰会副会長 桑木 祟秀







八月十三日に小泉総理が靖國神社に参拝したとのニュースを聞いた時は、ガッカリしたというよりもわが耳を疑った。それ程のショックであった。

小泉総理は四月の総裁選の候補者討論会の折に、「いかなる批判があろうとも八月十五日には靖國神社に必ず参拝する」と明言し、総理になってからも度々この言葉を繰り返していた。中国や韓国の反対、更には公明党や自民党の中からの反対論や慎重論が出るに及んで、最近は盛んに「熟慮する」という言葉が出るようになり、多少は不安を覚えていたが、断行する前のカモフラージュかぐらいに考え、、あさか「前倒し」のような姑息な手段は小泉総理はとらないだろうと信じていたのである。

それが「裏切られた」という思いにかられた者は、日本人の中に沢山居た筈である。

何しろ小泉総理は、就任の初めから「聖域なき構造改革」を言い、八月十五日の靖國神社参拝を公約したのであるから、そしてそれによって内閣の支持率が八〇%を越えるという最近では珍しい現象が起きたのであるから、今度こそ小泉ならやるだろうと期待が大きかったのである。それだけに「期待が裏切られた」との無念さも大きいのである。

もっとも後から冷静に考えれば、八月十五日でこそなかったものの、それに極く近い日に、首相が靖國神社に参拝されたということは、中曽根首相以来十六年間途絶えていた終戦の日の首相の靖國参拝(橋本首相の平成八年七月の参拝はあったが)が曲がりなりにも実現したということで、その決断に対しては敬意を表する次第である。今後総理が靖國神社の例大祭にも参拝され、更に来年こそは八月十五日のズバリその日に参拝されることを強く強く期待するものである。







ところで、このように日をずらして参拝するということが何故に起こったかと言うことであるが、要するに中国や韓国や、更には日本の靖國参拝反対派の反対を、少しでも和らげることが出来ると判断したからであろう。もっと勘ぐるならば、与党三党の幹事長が中国政府に呼ばれて北京に行った時に、せめて日を変えるならば穏便にすますという言質を得て帰って来たのかも知れない。

要するに怖かったのである。或いは怖かったというよりも、幹事長・官房長官といった側近中の側近に説得されて、反対し切れなかったのかも知れない。

八月十五日の靖國参拝は小泉総理の公約の一つであり、この公約が守れるかどうかが、今後彼の言う所の「聖域なき構造改革」が出来るかどうかの最初のハードルであった。そのハードルが越せなかったことは、今後も次々と起こるであろう抵抗をどこまで突き破れるか、甚だ心もとないと言わざるを得ない。

何故なら「聖域なき構造改革」と言いながら、先ずは中国や韓国を「聖域」にしてしまったからである。八月十五日に靖國参拝を断行するということは、中・韓という聖域を外す絶好のチャンスであったのにと惜しまれてならない。







それよりも筆者が気になることは、参拝当日に発表された首相談話である。新聞の報ずる所によると「アジア近隣諸国に対して過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた。悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者のすべての方々に深い反省と哀悼の意を捧げたい」とあり、「誤った国策にもとづく植民地支配と侵略」「悔恨の歴史」と、この大東亜戦争が唯々一方的に日本が侵略した戦争であると位置づけている。これは所謂(いわゆる)「村山談話」の踏襲であるが、もしこれが事実であるならば、靖國の英霊は侵略戦争に加担した憐れむべき犠牲者に過ぎないことになり、特攻隊で戦死した者も、(だま)されて踊ったピエロ的存在になってしまう。

大東亜戦争が自衛戦争であったことは、日本占領軍の最高司令官であったマッカーサー元帥さえも、アメリカの国会で「日本の行った戦争は、その大部分が自衛のためのものであった」と証言しているように明らかな事実であり、またアジア近隣諸国と言っても、中韓を除く大部分の国では、日本のお陰で独立出来たと喜んでいる。そうした事実を素直に認めないで、中韓に言われるからその意に副うようなことばかりいう―――では、正に「聖域」をしっかりと作っているとしか言いようがない。

「聖域なき構造改革」の第一に挙げるべきは正に、「精神の構造改革」即ち「意識改革」であり、勝者が敗者を一方的に断罪した東京裁判史観から脱却しない限り、真の構造改革は有り得ないと知るべきである。







A級戦犯分祀論も結局は東京裁判史観をあくまで強制しようとする中韓と、それに便乗する日本の反日勢力より発するものであり、これを容認すれば、次にはBC級も、次には中国の戦線に関与した凡ての将兵の靖國合祀も認められないというような、際限なき議論に広がって行くであろう。

そもそもA級戦犯とは、「平和に対する罪」という国際法違反の「事後法」によって、勝者が敗者を一方的に断罪したことによる殉難者であり、国内法的には犯罪者でも何でもない。だからこそ昭和二十八年八月の特別国会における恩給法改正の折にも、ABC級の別なく「法務死者」として遺族に扶助料を支給することに、衆参両議員とも満場一致で可決したのである。

(こと)に日本では、大悪人と(いえど)も死ねば仏になる(或は神になる)として祭るのが伝統的なしきたりで、死者の墓をあばいて鞭打つ中国人の伝統とは、正に対照的である。







もう一つ、公明党や社民党が言う首相の靖國参拝は憲法二十条違反の疑い―――即ち信教の自由と政教分離の原則に反する―――との論は、既に昭和五十二年七月の津地鎮祭訴訟に於ける最高裁判決によって否定されている。即ちその効果が特定の宗教を援助または他の宗教を圧迫するような場合でない限り、憲法に違反しないというのである。

筆者に言わせれば、小泉総理が二礼、二拍手、一礼の神道形式を避けて一例ですませたということも、やらずもがなのマスコミ向け配慮であり、信教の自由を唱えるアメリカ大統領が、就任式の折、聖書に手を置いて宣誓するが如く、堂々と伝統に従って、自然体で拝礼をしてくれたならば、これも一つの聖域打破につながったのではないかと残念に思う次第である。







新聞の伝える所によれば、新たに国立墓苑の設立も検討されているそうであるが、靖國神社がわが国戦没者追悼の中心的施設であることは紛れもない事実であり、そのような雑音に右顧左眄(うこさべん)することは、全く無用というべきである。

このような外圧や反日勢力に対する対応の迷いが起こるのも、元はと言えば東京裁判史観に侵された政治家が与党・野党を問わず多いためであり、そこからの脱却、即ち意識改革(精神構造改革)なくしては、聖域なき構造改革など永久にできないことを銘記すべきである。

八月十五日参拝が十三日に変わった意味を、そのへんからもう一度考え直して見る必要があるのではなかろうか。







平成13年8月25日 戦友連391号より


【戦友連】 論文集