再び声を大にして訴える
英霊の慰霊・顕彰の中心的
施設は靖國神社以外にない








はじめに



当然のことながら、九月出版のジャーナリズムの紙面は、八月十三日の小泉総理の靖國参拝に関する記事のオンパレードであった。参拝推進派の良識あるオピニオン誌の論調は、中曽根元総理の参拝中断以来16年ぶりの小泉総理の今回の参拝(平成八年に橋本元総理の誕生日参拝があった)を一応評価しているものの、内外の圧力に屈し特に中国の硬軟織り混ぜての権謀術数の罠にはまり、暑苦しい夏の喧騒を毎年繰り返している靖國問題に終止符を打つべき絶好の機会を逸したことに、大きく失望した色を隠そうとしてはいない。特に参拝後の記者会見における談話、更には十五日の全国戦没者追悼式の式辞に読み取れる彼の歴史認識は、中国の中華思想に拝跪する朝貢国の姿勢を是なりとする偏向マスコミに阿諛迎合(あゆげいごう)したものとして受け止めざるを得ず、多くの識者の指弾を浴びたことは真に残念であった。




戦没者の慰霊・顕彰は、戦争の性格・勝敗に関係なく、社会体制の如何を問わず、全ての国家・民族が共有する道義的人間感情の自然の発露である



人間は社会的動物である。戦後の偏向教育により今時の若者の一部には、金さえあれば誰の世話になることもなく自分一人で生きていけると錯覚している者もいるが、衣食住どれ一つ取ってみても、他人の世話にならなければ暮してはいけないのである。その最小単位は家族であり、その上に様々の地域生活共同体、それを統合する自然的態様としての民族或いは政治組織としての国家が存在するのである。今やIT技術の進歩であらゆる情報は一瞬にして世界を駆け巡り、グローバリゼーションとかの流行(はや)り言葉で、地球市民とかの幻想がある種の勢力で声高に語られているが、自己の生命を守ってくれるのは、己が所属する国以外にないことが益々鮮明になりつつある多極化の方向に世界は進んでいる。卑近な例をあげれば、海外に旅行した人なら如何にパスポートが大事なものであるかを身を以て体験し、国際間における国家の意義を十分に理解し得たことであろう。

西部邁氏は、国家は「国の家制」であるという。最近は「親殺し」「子殺し」が連日のように社会面を賑わしているが、これは飽くまでも例外的な病理現象であり、一般的には、危急の迫った時は親は身を投げ出して子供を庇い、又その逆の美談も災害時等に聞かされることに事欠かない。

これを国に当て嵌めれば、一旦緩急の国難に際し身を犠牲にして防人としての任務に斃れた戦士を、その国(或いは民族、時代により部族)の統治者が最高の儀礼を以て慰霊しその勲を称えることは、古今を通じ東西に亘っての普遍的な人間としての自然感情の発露であり、そしてその儀式が夫々の国の文化・習俗・伝統により執り行なわれていることは多言を要しない。

しかるに、独立主権回復後、半世紀に及ぶ今日においても、戦没者慰霊の中心的施設である靖國神社の国家祭祀はおろか総理の参拝すら、不当な外国の内政干渉に怯え、言い訳釈明を先行させての及び腰の参拝しか出来ないわが国の異常さは、先の大戦における戦勝国アメリカの産み落とした世界の奇形児としか響きようがない。




今後の日本外交に徹底的ダメージを残した
八月十五日の全国戦没者追悼式の
小泉総理の式辞と参拝直後の「小泉談話」



小泉総理は八月十五日の「追悼式」の式辞の中で、「また先の大戦において、我が国は、多くの国々とりわけアジア諸国の人々に対して多くの損害と苦痛を与えました。国民を代表して、ここに改めて深い反省の意を表するとともに、犠牲となられた方々に、謹んで哀悼の念を捧げます。」と述べ、近隣諸国に謝罪した。

この「追悼式」式辞で謝罪の色を滲ませたのは細川政権以来であるが、「我が国は」と加害者責任を自ら認めた「主語」を入れたのは、今回の小泉総理が初めてである。「村山談話」を踏襲したのであろうが、あれは対外向けの談話で、今回は多くの遺族の参列している追悼式での式辞であり、その意味合いは全く異なる。まして加害者側面を強調した点は遺族の心情を逆撫でするもので、場所柄を弁えないにも程がある。

このことについて平沢勝栄衆議院議員は、『諸君』10月号で、「『遺族の皆さん、あなた方の家族の関係者は、戦争で世界中の人々、とりわけアジアで酷いことをしたから、首相として世界にお詫びします』と言ったも同然です。これでは一兵卒まで含めて日本人兵士全員が悪いことをしたように受け取られかねない。遺族には酷としかいいようがない。」と痛烈に批判している。






また、「・・・祖国のために心ならずも命を落とされた戦没者・・・」とあるが、「心ならずも」の言葉は戦争を絶対悪とみるパシフィスト(平和主義者)の思想に通じるニュアンスを含み、心底から祖国の防衛に馳せ参じた大部分の、否すべての英霊を冒涜するもので、感謝の誠を捧げるとの総理の式辞に空虚感を覚えずにはいられない。

そして参拝直後の「小泉談話」である。先月号でも触れたが、外交交渉の土壇場で必ず出てくる平成七年八月十五日の「村山談話」に輪をかけて謝罪色を強めた今回の「小泉談話」は、中国に切札の効果を再確認させたのみならず、今後の参拝をままならないものとした自縄自縛の観すら感じる。石原都知事や中西輝政教授の指摘されている通り、小泉総理が公約を守り八月十五日に毅然と靖國参拝をしても、我が国としては失うものは何物もなく、その断行のみが、中国にこの切札の無効を認知させる唯一の道なのである。






黄文雄氏は『正論』10月号で「日本が靖國で中国に惨敗」と題して、氏の持論、中国と日本の相違をベースに、「靖國参拝問題を純粋に理論や感情で説得して理解してもらおうということは、全く次元が違う話だ。中国にすれば、そんなことはどうでもいいのである。中国にとって靖國参拝反対は、対日外交戦略の一つのカードにすぎないからだ」と述べ、「日本がいくら謝罪や反省を繰り返しても日中関係はよくならない。敗戦国日本が、戦勝国中国より国民生活が豊かで自由である限り、中国は許さないだろう。・・・日中の真の友好と平和といわれる善隣の客観的条件がそろうのは、中国人が言う『二十一世紀は中国人の世紀』が実現し、中華帝国が甦って傷ついた中国人の自尊心が癒されるときである。」と、極めてショッキングな警句でこの論文を結んでいる。それにしては何と、お人好しな親中政治家や、人民日報の東京支社とも呼ぶべき朝日新聞が、幅を利かせている我が国の現状ではないか。ここで目覚めなければ、本当に中国の属国にならないとは誰が保証してくれるであろうか。




靖國神社に代わる戦没者の慰霊施設など
絶対に有り得ない



「小泉談話」の最後の「今後の問題として、靖國神社や千鳥ヶ淵墓苑に対する国民の思いを尊重しつつも、内外の人々にわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどうすればいいか、議論する必要があると私は考えております」とのくだりは、新たな国立慰霊施設の建設を示唆したもので、福田官房長官は早速、私的諮問機関を設置して検討に入る構えを見せている。

この場合慰霊施設といっても、戦没者の墓地は全国のご遺族により夫々の墳墓の地で手厚くお守りされており、今更分骨して国立墓地の建立などは有り得ず、慰霊堂或いは記念碑等と考えるのが至当であろうが、仮にそれができたからといって、英霊の神鎮まります靖國神社を中心的慰霊施設として支持している国民感情に照らせば、果たしてどれだけの人々がお参りに訪れるであろうか。

只ここで最も注意しなければならないことは、身元不明のため引取り手のない戦没者の遺骨の納骨所である千鳥ヶ淵墓苑を拡充整備して、靖國神社に代えて国立の中心的慰霊施設とする構想である。もともと厚生労働省の役人には、誤った軍事アレルギーから靖國神社を忌避し、その建設当初から、外国の「無名戦士の墓」になぞらえて、千鳥ヶ淵墓苑を国立の中心的慰霊施設にしようとの下心が見え隠れしていたのである。対応を誤れば、新構想と従来からあったこの考え方とが容易に結び付く可能性は高く、我々は何としてでもこのような動きを阻止しなければならない。






ここで主要な外国の慰霊施設の概要を一瞥してみよう。共同体に殉じた勇士或いは部落の(おさ) などを手厚く弔い崇めたことは、人間社会の道義として古来から行われてきたが、近代国家として、戦没者の中心的慰霊施設を設けたのは意外に新しい。

欧州諸国では、第一次世界大戦での犠牲者の厖大に及んだことに起因し、各国では各地に墓地を作り戦没者を丁重に埋葬するとともに、一九一八年から一九二一年にかけて、無名の戦没者の遺体の一体を選んで全戦没者の象徴とし、多くはその首都に「無名戦没者の墓」として安置し、その栄誉を永久に称える当該国の中心的慰霊施設としたのである。その後の戦争における犠牲者も同様に尊崇の的になっていることは論を俟たない。

アメリカでは若干事情を異にして、戦争と言えば、最初に米国人の頭に浮かぶのは南北戦争であり、戦没者の埋葬とその人名を記録に止める軍令が北軍から発令されたのは、一八六二年(南北戦争勃発の翌年)のことであった。第一次大戦以降の戦没者の慰霊顕彰の在り方は欧州各国と同様である。

明治維新に際し、戊辰の役で戦死された方々の御霊を祀るために九段の坂上に招魂社が建立されたのが、明治二年(一八六九年)、そして明治十二年(一八七九年 )に、明治天皇の思召しにより靖國神社と改称され、その後の国難に殉じられた方々総じて二四六万六千余柱が現在の御祭神である。

外国の「無名戦士の墓」、具体的な例として名前を挙げれば米国のアーリントン墓地、英領のウェストミンスター寺院、フランスの凱旋門等は、過去・現在・未来を縦に連ねる歴史と伝統と、その象徴性において、わが国の靖國神社と共通する普遍的価値を持つ聖域なのである。しかも、その慰霊行事はいずれの国でも宗教色豊かに執り行なわれている。






靖國神社参拝の反対論者は、政教分離の規定に抵触し違憲と言うが、西欧では近世まで宗教が政治を支配していたことへの反動的牽制規定であり、国家行事において宗教性の完全分離などの非現実を許容する寛容性を持ち合わせている。公明党が創価学会との関連において祭政一致であることは紛れもない事実で、その党が反対論の急先鋒とは矛盾も甚だしい。

中国が宗教を弾圧していることは天下周知の事実であり、しかも共産党独裁政権は論理的に唯物史観から死者の霊を認める筈もなく、それが戦没者の御霊と深く関りのあるわが国の靖國神社参拝に干渉するなどは論外、更に靖國神社参拝は軍国主義の復活に繋がるなどの非難は、自国の軍備拡張やチベット侵略を棚上げして日本を恫喝する口実にすぎない。その中国にお世辞を使うチャイナ・スクールの面々は、中国の属国となっても、今チベットの国民が剥奪されている基本的人権は、親中なるが故に自分たちには保証されるとでも思っているのであろうか。

靖國問題には、いわゆるA級戦犯合祀やサンフランシスコ講和条約第11条解釈問題があるが、法律的には、国内・国際法ともに解決済みである。当時のリーダーの敗戦責任や道徳的責任については、次元の違う別個の問題であり、その辺の事情については平成13年7月1日刊『”A級戦犯”とは何だ!』(靖國神社社報7月号の付録)に詳述されているので熟読して頂きたい。






多くの識者の指摘していることだが、死者を追悼するということは、その形式の如何を問わず人間の心の問題であり、大なり小なりの差はあれ宗教性を伴うことは必定である。従って慰霊堂にしろ記念碑にしろ無宗教性ということは有り得ない。この観点からしても、靖國神社以外に戦没者の中心的慰霊施設は有り得ないことを銘記し、小泉総理の示唆した新構想の具体化は万難を排して阻止しようではないか。

最後に付け加えるならば、外国の慰霊施設には、侵略戦争にしろ自衛戦争にせよ、戦争の性格に関係なく全ての戦没者が一様に祀られている。アメリカが悪い戦争と自認したベトナム戦争の犠牲者も、アーリントン墓地に祀られていることの一事を見ても納得がゆく。

小堀桂一郎教授と長谷川三千子教授との対談で、昭和60年レーガン大統領がドイツを訪問した時、ナチスの戦死者も葬られているビットブルグの墓地にコール首相がレーガン大統領を案内し、ユダヤ人団体から大変な反発があったが、それを敢行したことによって、大戦以来の米独関係が健全に復元したということを明らかにし、今秋予定されているブッシュ大統領の来日時に、小泉総理が案内して靖國神社への参拝が実現すれば、真の「終戦」以来五十年目に日米の完全な「和解」が成立し、それが東アジアの安全保障体制の要である日米関係に計り知れない大きなプラスになることを語らい、そのためにも両教授とも内外に向けて言葉の発信による戦いに敢然と打って出るこの決意を表明されたことに心からの声援を惜しまない。




小泉総理よ、君子豹変、過ちを正すことに憚ること勿れ



人間である以上誰にでも過ちはつきものだ。それを正してこそ大宰相の名誉を勝ち取ることができるのだ。折からの米国心臓部へのイスラム原理主義組織の同時テロ事件の発生、日本の総理としての心労も並々ならないものがあると拝察するが、かかる国家危機打開の道と、靖國問題の解決とは通底している。是非日本の名誉回復のため、精神の構造改革の信念貫徹に猪突猛進されることを祈って止まない。




 佐藤 博志








平成13年9月25日 戦友連392号より


【戦友連】 論文集