『教科書・靖國』が浮き彫りにした日本の岐路








歴史教科書問題と靖國参拝―

今夏、内外の関心を奪ったこれら二つの問題を振り返ってみるならば、そこにはいくつかの共通性がうかがえる。

まず、「新しい歴史教科書」に対しても、首相の靖國参拝に対しても、中韓両国と朝日新聞・共産党をはじめとする日本の左翼勢力が連携し、必死の抵抗と妨害活動を行った。彼ら「抵抗勢力」と推進派との間で、激しい攻防が展開されたことは周知の事実であろう。また、こした攻防の結果が、教科書も靖國参拝もともに推進派にとっては予期せぬ不本意なものとなった。教科書と靖國では多少評価が異なるとはいえ、心情的にはある種の挫折感を伴う結果となったことは否めない。

さらに、歴史教科書と靖國参拝問題が、先の大戦を含む近代日本の歴史認識の見直しという重大な意義をも包含していたことは間違いない。つまりこの二つの問題は、東京裁判史観を脱却し、敗戦・占領で失われた民族的アイデンティティーを回復するという、戦後保守派の最も本質的テーマを担っていたとも言える。だからこそ、これら二つの問題は左翼の必死の抵抗を呼び起こしただけでなく、中韓両国の激しい反発をも惹起したわけである。







ところで、こうした内外に強い衝撃を及ぼした二つの「事件」は、近代日本の歴史認識をめぐる国際社会の現実、あるいはこれまでさほど意識されてはこなかった日本国内の左翼・保守をめぐる実体を浮き彫りにすることともなったと言える。

以下、教科書と靖國を通して浮き彫りになった三つの現実を分析するとともに、今後の課題についても触れてみたい。





歴史認識をめぐる「反日包囲網」



周知のように、今回の歴史教科書と靖國問題を通して、中韓両国は度重なる激しい内政干渉を繰り返し、改めて日本に対する「敵意」の強さを印象付けた。しかし日本は、中韓両国からの敵意ばかりか、欧米からの冷ややかな、非難がましい視線にもさらされていたのである。教科書と靖國の二つの問題が何よりも鮮明にしたのは、今日のわが国を取り巻く国際社会のこうした厳しい現実に他ならない。







まずは、今回の問題を通して、日本と中韓両国との歴史認識をめぐる「摩擦」が避け難い「宿命」であることが、以前にも増して明らかになったことである。例えば櫻田淳氏は次のように指摘する。

「私は、中韓両国との間にある摩擦は、今後とも解消されることはないと考える。現在の我が国が『帝国主義・日本』としての歩みの果てにあり、その『帝国主義・日本』への抵抗を中韓両国が国家建設の原点に据えている限り、我が国と中韓両国との歴史認識には、決して重なり合わぬところが出て来る。・・・我が国にとって、中韓両国との摩擦は宿命の一部であり、われわれは、その宿命を受入れるべきである」

現に中韓両国は今回、わが国の歴史教科書に対して、前代未聞の正式の外交ルートによる「修正要求」を突きつけてきた。わが国の国家主権に対する「敵対的行動」と言わざるを得ない。結局、中韓両国政府がこうした極めて非常識な行動をとったのも、いわば「加害国家・日本」という自国の存在基盤を保持するためなのだ。そうであるならば、中韓両国は今後とも、過去を再評価しようとする日本の一切の動きを妨害し続けるであろうことは、極めて明白だと言えよう。







また、先に指摘したように、今回の二つの国内問題に対しては、中韓両国だけでなく、欧米のメディアや政府関係者も警戒心を募らせ、実際に非難さえ浴びせかけてきた。例えば、米紙ワシントン・ポストは、「厄介な日本」と題する論文を載せ、そこで日本の歴史教科書について「原爆投下は、南京の虐殺や帝国陸軍に奉仕した女性たちの性的奴隷化よりも強調されている」などと、誤解と偏見に満ちた情報を発信した。

またニューヨーク・タイムズも社説で靖國問題を取り上げ、「首相は自らの政治力を、ナショナリズムの再生ではなく経済改革の推進に使うべきだ」と、内政干渉めいた注文を付けてきた。米紙は保守系・リベラル系を問わず、「過去を反省しない日本」という認識で一致したと言われている。

一方、英紙フィナンシャル・タイムズも社説で、靖國参拝について「右翼勢力を喜ばせるためとしか受け取れない」と指摘し、「戦争責任についての謝罪」「侵略行為を含む歴史教育」「慰安婦への早急な賠償」などの必要性を訴えた。

他方、米政府関係者の発言としては、まずアーミテージ米国務副長官が教科書問題に関して、「過去の問題に責任をとらない日本の態度は受け容れ難い」と発言した。またジョセフ・ナイ元国防次官補は、靖國問題に関して「(参拝は)やるだけの価値のあることだろうかと、多くの米国民は当惑している。国内的に得るものより、国際的な代価の方が恐らく高くつく。・・・戦死者と戦争犯罪人が同じ所にいることが問題」などと日本人に向けて語っている。

もちろん、こうしたマスコミ報道や断片的な発言だけで、米国の対日認識を結論づけるつもりはない。しかし、とりわけ上記の二人は親日派とみなされる人物であるだけに、その発言はやはり無視できない。







率直に言えば、米国の指導層・知識層の多くは、大東亜戦争を含む戦前の歴史を再評価しようとする日本の動きを容認しないということであろう。米国が先の大戦に対する「正義」を保持する上で、東京裁判が断罪した近代日本の再評価は深刻な障害となるからに他ならない。すなわち近代日本についての歴史認識に関する限り、中韓両国と欧米とはほぼ共通の土俵に立っているとも言えるわけである。

ちなみに最近、台湾の陳水篇総統は、訪台した日本の教育関係者らに「教科書は史実を忠実に記載しなければならない。いかなるわい曲や改ざんも許されない」「戦争を発動した国は100%責任を負わなければならない。・・・被害国の立場や感情に向き合わなければならない」と述べたと報じられた。毎日新聞によれば、この発言は歴史教科書や靖國参拝を間接的に批判したものだという。親日的とみなされる台湾人の中にさえ、中韓両国とほぼ同様の歴史認識が今日存在するわけである。







こうした一連の事実から言えるのは、今日の国際社会には、東京裁判史観の見直しを断固阻止しようとする国々が存在するという現実に他ならない。うがった見方をすれば、今日のわが国は、いわば国際的「反日包囲網」に取り囲まれているとも言えるだろう。




左翼が影響力を持つ「理由」



歴史教科書と靖國参拝という二つの問題が浮き彫りにした第二の現実は、今日の日本社会における左翼反体制勢力の「宿業」のような影響力の強さである。世間で七十万冊以上のベストセラーとなった歴史教科書が、学校現場の採択では千冊にも満たない結果に終わったことは余りにも異常である。こうした異常事態をもたらした大きな要因は、教育・行政・マスコミ等、日本社会の深部にまで浸透する左翼勢力の影響力であったと思われる。

例えば西尾幹二氏は「地方の県庁や市役所に行くと、親中派とよばれる勢力がいかに深く広く滲透しているかに驚く。この国はすでに侵されている」と、採択運動を通して肌で感じた実感を吐露している。ソ連が崩壊して十年以上が過ぎ、世界的には左翼勢力が退潮した中で、日本社会では左翼勢力が根を広げ、侮り難い影響力を保持しているのは一体なぜなのだろうか―――。







まず、その最も重要な背景と考えられるのが、ソ連崩壊後、日本の左翼が社会主義革命をめざす旧来の運動から、「日本の過去」を糾弾する反日運動へと「戦術転換」を行った事実である。これについて、藤岡信勝氏は次のように分析する。

「社会主義を信奉していた人たちは、未来を語ることができなくなった分、その全エネルギーを日本の過去を糾弾することに振り向けてきたのです。・・・(慰安婦問題)が持ち出されてきた時点というのは、ちょうど社会主義がダメになり、遂には一九九一年にソ連邦が解体するというその時期とぴったり重なり合っています。ソ連邦が解体する一九九一年暮れ、まさにあの時点で慰安婦の訴訟が持ち上がってきて・・・。

これは決して偶然ではありません。つまり、自分たちの拠り所になる核を失ったため、日本の過去を糾弾するということにしか発言の余地がなくなったのです」

付言するならば、一口に左翼といっても、共産党員のようなマルクス主義者から民主党的な市民派まで幅があり、かつては当然、陣営内での矛盾や対立が存在した。しかし反日運動にシフトしたことにより、そうした対立も解消し、今日の左翼は足並み揃えて「過去の糾弾」に結集することになったということが言えるのだ。

このように、今日も左翼が侮りがたい影響力を保持している背景には、彼らの生き残りをかけた、いわば起死回生の戦術転換があった事実を認識すべきである。







第二の背景としては、こうした反日運動にシフトした左翼にとって、今の日本社会には実に好都合な思想的土壌が存在することがあげられよう。

具体例をあげれば、サンフランシスコ条約第十一条について、今日も根強く流布する誤った自虐的な解釈である。今回の靖國参拝をめぐる動きでも、「A級戦犯」合祀をめぐり、保守に属する政治家や知識人の中からも「日本は講和条約の第十一条で東京裁判を受け入れたのだから、裁判の是非を問う議論などすべきでない」との意見が出た。加藤紘一元自民党幹事長のような保守政党の幹部までが、こうした誤った解釈に基づき、東京裁判を今後とも受入れていくのは日本の「当然の義務」だと発言した。

しかし、十一条はあくまでも東京裁判の判決の効力を維持させるための条項に過ぎず、日本は東京裁判の歴史認識まで受け入れたわけではない。そのような趣旨は当時の国会でも確認されており、加藤氏の解釈の誤りは極めて明白だと言える。十一条の解釈をわざわざねじ曲げてまで、東京裁判を擁護しようとする自虐的な姿勢は、東京裁判史観の呪縛の強さを如実に物語っていると言わざるを得ない。

このように、戦後の多くの日本人は、東京裁判史観や戦後平和主義といった占領政策に基づくイデオロギーにすっかりマインド・コントロールされてしまったため、左翼の反日的主張や圧力に対する抵抗力を失ってしまっているわけである。







さらに反日勢力は今日、中韓両国の「外圧」を利用するという実に卑屈な手段を使って自らの運動を進めている。今回の歴史教科書や靖國問題でも、朝日・毎日などの大新聞が、いかに中韓両国の「外圧」を呼び込み、自らの政治的主張を通そうとしたことか。こうした左翼の「外圧」利用も、彼らが今日なお影響力を保持している重要な背景の一つだが、それが彼らの明確な戦術でもあることを岡崎久彦氏は次のように指摘する。「これは六〇年、七〇年安保以来挫折、逼塞していた左翼反体制勢力が、今度は外国の干渉を借りる形に活路を求め、それが過去二十年間成功したものと理解している。おそらく、その全共闘世代がだんだんとマスコミ等社会の中枢に実力を持つようになったのも一因であろう」。







周知のように現在、中国や北朝鮮などの地球の一部を除けば、世界的に左翼勢力の影響力はほとんど消滅しかけている。そうした中で、日本の左翼が未だに影響力を保持しているのは、以上のような背景があってのことなのである。




「空洞化」する保守



さらに、歴史教科書と靖國参拝という二つの問題は、こうした左翼に対抗すべき保守が今日直面している深刻な問題をも浮き彫りにせずにはいなかった。端的に言えば、今日の保守の「空洞化」とも言うべき事態である。

確かに、今回の二つの問題をめぐっては、それぞれに超党派の議連が結成され、日本の真の国益を守ろうとする心ある保守系議員の「大同団結」が見られた事実は注目に値する。しかし結局、こうした画期的な動きも全体の政治状況を動かすには至らなかったという事実に、今日の保守が陥っている事態の深刻さが如実に示されたと言えよう。







この保守の「空洞化」を最も象徴的に示したのが教科書・靖國問題に対する自民党の実に冷ややかな態度であろう。

例えば教科書問題について言えば、中韓両国や左翼勢力が各地の採択現場に対して不当な圧力を加え、公正な採択を妨害した。しかし、自民党は採択の正常化を求めて「政調会長通達」を出した以外は、違法な妨害行動を排除するための有効な具体策を何ら実施しなかった。政党としての自民党が今回、教科書問題という正しく保守政党としての「真価」が問われるテーマに対して、極めて無自覚・無気力であった事実は否めない。

一方、靖國問題に関しては、山崎幹事長をはじめとする多くの自民党幹部が、小泉首相の「抵抗勢力」になるという驚くべき事態が現出した。訪中した同幹事長は、個人的見解とはいえ「A級戦犯」分祀に言及し、保守政治家としての思想的欠陥を暴露することともなった。もちろん、田中真紀子外相が、首相参拝を「やめなさい」と厳命した中国の外相に何の抗議もせず、ひたすら中国の「代弁者」として振る舞ったのは論外というしかない。







いずれにせよ、こうした自民党の実態が、いかに保守政党としての堕落を示すものであったかは、例えば昭和五十八年、自民党の靖國問題小委がまとめた次の見解と比べれば明らかだと思われる。

「国の独立を守ることは、国民の最も崇高な義務である。子々孫々にわたるあとに続く人達のために、今に生きる者の重大な責務である」

「内閣総理大臣は、国家を代表する立場にある。従ってまた、国家を代表する者として時に靖国神社を訪れることは当然のことである」

わずか十八年前のこの見解には、保守政党としての見識と気概が満ちており、今日の自民党の実態とは隔世の感を禁じえない。

結局、終戦記念日に靖國神社を参拝したいとの首相の初志貫徹を最終的に阻んだものは、「外圧」自体というよりも、それに脅えた「身内の抵抗」だったと言うことである。その意味で、問われるべきは保守政党としての自民党の堕落であり、そうしたどうしようもない現状を考えれば、小泉首相が参拝自体を実行したのはむしろ評価に値しよう。







とはいえ、今日問われるべきは、保守政治家の堕落ぶりだけではない。「保守」を自認する国民の思想・信条の欠如を浮き彫りにしたのが、今回の教科書と靖國の両問題だったと言うこともできるからである。例えば西尾氏は、教科書採択戦を振り返り、次のように証言する。

「ひごろ保守思想を語り、扶桑社版教科書を評価するかのごとき言葉をのこし、この人さえしっかりしていてくれれば必ず採択されるであろう、と関係者を安心させていた地区で、最後のキャスティングボードを握っていた教育長が、リアクションを恐れて、腰くだけになった例は、枚挙にいとまがない」

すなわち、保守派の採択関係者を最終的に動かしたのは、「火中の栗は拾いたくない」という、”事なかれ主義”だったと言うのである。こうした”事なかれ主義”は、また靖國参拝をめぐる国民世論にもはっきりと現れた。小泉内閣発足当初、八月十五日の参拝を支持した八割もの国民の少なからざる部分が、いよいよ参拝直前になると「慎重派」に寝返り、慎重派と支持派がほぼ拮抗したからである。また参拝後は六割の国民が十三日の参拝を支持したが、支持理由は多い順から「中韓に配慮した」「首相の柔軟な姿勢」「戦没者を慰霊できた」であったという。

つまり、慰霊自体の意義よりも反対派への「配慮」を保守層の多くは支持したわけである。教科書採択に見られた”事なかれ主義”と同様の意識が示されたと言えよう。







このように見れば、政治家から一般国民にいたる日本の保守の多くが、確固たる思想や信念に支えられているわけではないことが分かるだろう。すなわち、保守層の大半は「気分保守」という厳しい現実が、教科書と靖國を通して露呈したと言わざるを得ないのである。




保守「巻き返し」への手がかり



歴史教科書と靖國参拝問題を通して浮き彫りになったわが国の状況は、以上のように極めて厳しい。しかしこれら二つの問題を通し、国民の意識の中に健全なナショナリズムの「芽生え」とでも言うべき動きが起こり始めた事実にも注目すべきであろう。先に、今日の保守層の「気分保守」という実態を指摘したが、その一方では、中韓両国からの度重なる「外圧」の中で、若者を中心とした少なからざる国民の心に「日本人としての自覚」が芽生え始めたこともまた事実なのである。

例えば、左翼があれだけ誹謗中傷した歴史教科書がベストセラーとなる一方で、今年の八月十五日には、昨年の二倍以上にあたる十二万人もの人々が靖國神社を参拝した。「若い世代の日本人を中心に、自らの文化の伝統に関心を向け、それを受け継ごうという動きが生まれた」(中西輝政氏)と言うべきであり、これは教科書と首相の靖國参拝問題がもたらした国民意識上の注目すべき変化だったと思われる。

実際、今回の教科書運動や靖國参拝を「挫折」とばかり捉えるのは余りにも一面的であり、そこには「一歩前進」とも言うべき重大な意義があったのも事実なのである。例えば戦後の諸々の教科書是正運動において、教科書を作成し、検定を通し、採択にまで取り組んだ今回の運動の「画期性」は明らかだと言える。また小泉首相の靖國参拝も、確かに「前倒し」になったことは残念ではあるものの、昭和六十一年以来首相の靖國参拝が途絶えてきたことを思えば、ともかく参拝したという事実の重さは無視できない。

このように見れば、むしろ日本は現在、戦後史のターニング・ポイントに立っているとも言えるのではなかろうか。歴史教科書と靖國問題に対して左翼が行った死に物狂いの抵抗は、正しくこうした事態への彼らなりの「危機感」に発した抵抗だったに違いない。結局、先に見た三つの厳しい状況も、われわれが前進したが故に浮き彫りになったと言うべきなのであろう。







さて、そこで今後の日本の命運にとって最も重大なポイントとなるのは、保守の「巻き返し」いかんということになるだろう。果たして保守の「巻き返し」は、いかにして実現すべきなのだろうか。

もちろん、運動論的にはいろいろな課題が考えられるだろうが、ここでは紙数の関係上、とりえず思想的課題の一端についてのみ指摘しておきたい。







まず今後、東京裁判史観に対するこれまで以上の徹底した批判・克服の作業が必要となるだろう。先に示したように、今日の国際社会には、中韓両国や米国など、東京裁判史観の見直しを阻もうとする包囲網が生まれつつあることを考えるならば、この課題の重要性は明らかだと思われる。

とはいえ、こうした包囲網に対処するためにも、まず求められるのは日本人自身を呪縛する東京裁判史観の克服だと言える。先にも見たように、保守政治家を含む多くの日本人が東京裁判史観に呪縛される現状の中で、左翼にとって東京裁判史観が最大の思想的基盤となっているからでもある。逆に言えば、東京裁判史観を徹底批判することが、左翼の根っこをたたくことにもなるということだ。今後の日本が、「反日包囲網」の厳しい国際社会で生き残るには、何よりもまず国内に残存する東京裁判史観の土壌を根絶することが大前提と言うべきなのである。







もちろん、保守の思想的課題は、東京裁判史観批判だけで終わるわけではない。さらに、東京裁判が否定した大東亜戦争、それに至る近代日本の歩み全体を再評価する作業も不可欠となるだろう。

要は、日本人が共有できる「国民の物語」を回復していくことが、今後の重要な思想的課題ということである。そして言うまでもなく、そうした「国民の物語」の回復の中からこそ、今後の憲法改正問題にもつながる日本の「自画像」が明らかになるものと思われる。



(注) この記事は「明日への選択」(平成13年10月号)より転載しました。


(小坂)







平成13年12月25日 戦友連395号より


【戦友連】 論文集