NHK大河ドラマ
「北条時宗」に関する考察



歴史を正しく伝える会 岡山
     備前市
  西川 晃男




NHKの偏向ドラマ「北条時宗」では、何故か「モンゴル軍の襲来」と言い「元寇」とは言わない。「寇」とは押し寄せる「賊」の事。先祖のしたことを「倭寇」と言うのなら何故「元寇」と言わぬ?





大陸の狩猟民族が、騎馬軍団の武力によってユーラシア大陸を席捲して「元」を興し、勢いに乗じて東海の島国を征服しようとしたのが文永・弘安の二度にわたる元寇であったことは明らかである。彼らが侵寇船に積んできた武器や農具を作る為の鉄のインゴットが、水中考古学調査団による元寇遺物調査で、長崎県鷹島周辺海域から引き揚げられたのは昭和五十七年の事だが、これは正に日本を占領して永住しようとした動かぬ物証ではないか。それにも拘わらず、元の来寇をフビライが大航海時代に先駆けて「海の道」に目を向けており、日本攻撃は世界に豊かさをもたらす海の道を拓くという世界戦略の一部であった、と日本への恩恵的なものであるように歪める意図は何ぞや。





対馬と壱岐の島民に対する元と漢と高麗の合同軍の残虐行為は、歴史上歴然としている。男は皆殺しにし、女子供は戦利品として手のひらに穴を開け綱を通して引き回し、あげく素裸にして船の舷側にぶら下げて博多へ来寇した。この残虐は史料にも明白で、博多の元寇資料館所蔵・矢田一嘯画「対馬の暴虐」の生々しく描く所でもある。では何の為に舷側にぶら下げたのかと考察するに、我々農耕民族である日本人の発想では「凌辱強姦する為」「日本軍の矢除けの為」「防舷材にする為」「手柄を誇示する為」くらいしか思い及ばない。

しかし彼等は狩猟民族で肉食を常とし、しかも古来から「人肉食」の文化を持っているのだ。彼等の人肉食の伝統は、芳賀矢一の『国民性十論』(明治45年)や、それより古い『資治通鑑』更に中国古代の『本草綱目』『本草拾遺』にも詳述されているし、元・明の時代を含め史記を始め中国の多くの史書に多数出てくるし、近くは文化大革命の混乱の際にも人肉を食らった記述が出て来る。それを土台に筆者は次のように類推した。穿ち過ぎなれば良いのだが・・・。

元は征服した高麗と宋に命じて多数の軍船を造らせ、それに武器と食料などを積み込んで、十四万の元・漢・高麗の連合軍で、朝鮮の西海岸や東支那海を何十日もかけて航海して博多湾へ押し寄せた。到着した頃には、彼等の常食の羊肉や好物の乾燥肉・塩漬け肉等の食糧は不足状態であったはずだ。そんな状態の中で、対馬・壱岐島で捕らえた女子供は絶好の食材に見えたに違いない。

捕らえて数珠繋ぎにした女子供を、スペースの限られた船内に積み込むと狭いし、泣き叫んで喧しいし、糞尿を垂れ流されて臭くて困る。さりとて殺してしまうと、すぐに腐敗が始まる。だが舷側に吊るして生かしておくとすべてが解決する。想像するさえ(いさ)ましいが、こうして必要な時に必要なだけ引きずり上げて、慰みものにした揚げ句食材として処理したに違いない、と。





この言語に絶する蛮行も、NHKドラマでは「むごき戦いでございました」の一言で片付ける。のみならず、日本を目覚めさせるためには「むごき戦い」が必要だった、とまで言わせている。「南京事件」その他日本人による蛮行はあれ程大仰に報道してきたNHKが、中国・韓国系の人間が日本人に対して行った蛮行には、この通り口を緘して何も語らないのは一体何故なのか?。「女子供は戦利品として連れ去られた」と言う謝太郎に向かって、時宗が「フビライはそんな非道を命じる男なのか」と問い返したのに対し、謝太郎は「戦とは人を非道にするものじゃ、蒙古から見れば日本の兵も非道に見えるであろう」と喧嘩両成敗の理屈で日本にも罪を被せさせる。日本を侵略し日本人を虐待した者をこれ程弁護する大河ドラマとは、一体全体何なのか?

否、侵略の語さえも全く使わない。「高麗と元の連合軍は壱岐の内陸部へと進軍しました」と言うナレーションを聞くと、彼等がまるで正義の日本遠征軍のようにさえ錯覚させられるではないか。





NHKは「これはドラマであって歴史ではない」と言い抜けするが、それならば人物の名前を変えて、「これはフィクションであって、史実を忠実に描写していません」と字幕を入れるべきだ。

この「北条時宗」は時代劇ではない。中世を舞台にした反日現代劇である。

(平成十三年十二月)






平成14年2月25日 戦友連397号より


【戦友連】 論文集