ドイツから見たアジアの中の日本



ジャーナリスト  クライン孝子




当地ヨーロッパでは、二〇〇二年一月一日から、単一通貨「ユーロ」がお目見えした。その拠点が私の住むフランクフルトである。フランクフルトにはこの「ユーロ」の金庫番欧州中興銀行が所在しているからで、今年からはいよいよこのフランクフルトを発信地とし、世界中に「ユーロ」のお札とコインが登場することになった。

この通貨統合実施で、欧州統一もようやく総仕上げの段階に入ったといっていいだろう。






しかしそれにしても、この欧州統一構想、実に長い間、時間を掛け練り上げた構想だった。

というのも、第二次世界大戦後、二十一世紀の幕開けを睨んで、それまで犬猿の仲にあったドイツとフランスが、第二次世界大戦の反省から、二度と欧州大陸を戦場にしてはならぬと結束し、その甲斐あってかなった欧州一体化構想で、実に半世紀にわたりこつこつと構築してきた枠組みだからである。その枠組みたるや、すでにアメリカをしのぐ強大な勢力に変わりつつある。その分、アメリカのヨーロッパにおける覇権構造が後退しつつあるわけで、それをいち早く察知したアメリカは、ブッシュ政権誕生とともに、極東アジア地域に焦点を合わせ、その取りこみに懸命になりはじめた。






その極東アジア事情はというとどうか。台湾問題、北朝鮮問題、さらに二十一世紀の前半、必ずやアメリカを凌駕しその強敵として登場する中国の台頭、落ちぶれたとはいえ今もその中国への影響を弱めていないロシアの動きと、その情勢は片時も目が離せない状況にある。

このような緊迫した極東情勢の中で、アメリカは何をさしおいても日本を味方につけ、緊密かつ強力な兄弟関係を築こうと目論んでいる。

当然こうした新しい動きには、抵抗がつきものである。日本を全面的にバックアップして極東における安全保障の強化を図ろうとするアメリカと、そうはさせまいとその動きを激しくけん制する中国、極東における安全保障面での主導権を日本に託そうとするアメリカと、その動きを阻止しようと日本への敵意をむきだしにして、なにかと嫌がらせを企む韓国との小競り合いがそうである。






言いかえれば、今や日本は極東の重鎮であって、日本の出方しだいで極東情勢はどうにでもなる時期に入ったと見ていい。それだけに、そのアジア情勢のどれ一つとって見ても、二十一世紀の日本にとって欠かすことのできない重要事項で、よほど腹を括って慎重かつ大胆にことに当たらないことには、後世とり返しのつかない事態を招くことになる。日本のリーダーの度量=資質が今日ほど問われているのも、要するに、リーダーの舵取り次第で、今後の日本の行く末の大半が決まってしまうと見ていいからだ。

そういう意味で、一国の首相による靖國神社公式参拝問題はその焦点にあると、かねがね私は思っていた。なぜなら、平成十三年という年は二十一世紀幕開けの最初の年で、第二次世界大戦後約半世紀にわたって、戦争に負けたがゆえに引きずってきた日本の贖罪意識と卑屈感を、この首相公式参拝実施で一挙に払拭するまたとない絶好の機会だからだ。加えて今日の日本の繁栄をもたらしたそのエネルギーとは、そもそもあの戦いにあってあえなく命を落としたその犠牲者の血なくしてはなかったからで、彼らを弔うことは、日本の国民にとって当然の義務だからだ。






平成十三年四月、日本変革を目指して成立した小泉内閣では、総理自ら、政権成立早々、「八月十五日終戦記念日には靖國神社公式参拝を行う」と公約した。「やれ安心した。これで一先ず、日本は自虐の足かせから開放される」。そう思ってほっとしていたのだ。

ところが、あにあはからんや、小泉総理は公式参拝を前倒しして八月十三日に参拝した。

これにはがっかりした。一度こうと思ったら、断固として自分の信念を貫き通すという定評のある小泉総理ともあろう人物が、たとえいかなる中国や韓国の執拗な圧力があろうとも、なぜ、一言「われわれ日本人は、戦後一度たりとも、お国中国や韓国の政り事にお節介や口出しをしていない。それなのにあなたがたはなぜ我々日本国に対して内政干渉を行うのか。靖國神社参拝問題はわれわれ国民の心情なのです。どうか今後このような内政干渉行為は行わないでいただきたい」と毅然とした態度で跳ね返すことができなかったのか。それでこそ日本の首相として、外国からも尊敬される存在になるというのに。






それだけではない、その直後に発表された小泉総理談話の冒頭部分にもカチンと来てしまった。

「二十一世紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき、私は、粛然たる思いがこみ上げるのを抑えることが出来ません。この大戦で、日本は、わが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。とりわけアジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです」とは何ごとか。一瞬、これでは従来の謝罪オンパレードと全く変わりがない。このような談話を発表するくらいなら、なぜ十三日といわず十五日に参拝しなかったのだろうかと。

平成十二年に続いて十五日の公式参拝を敢然と実施した石原慎太郎都知事はさっそく、この前倒し公式参拝について、「残念ですな。足して二で割るような方法は姑息。ますます日本の外交は侮られた」というコメントを出していたが、ごもっとも、正解というしかない。正直いってほぞを噛む思いがした。






とこう思っていた矢先だった。あの九月十一日の同時多発テロがアメリカで起こってしまった。

実は、あの日、九月十一日の事件は、最初からテレビに張りつき食い入るように五時間近く見てしまった。しょっぱなタワーに飛行機が突っ込んでいく画像を見て一瞬テロだなと見抜いてしまったからで、そのとたん、「これをアメリカはどう処理するだろうか。アメリカの心臓を打ち抜いたのだ。恐らくアメリカはただではおくまい。必ず熾烈な報復作戦を展開するに違いない」と思った。

案の定、アメリカは、ブッシュ大統領のもと、電光石火のごとく対応し、犯人探しに乗り出した。そしてこれこそがアメリカの威力といわんばかりに、主要国はもちろんのこと、日ごろ、反米感情をむきだしにしている国までも、即味方につけて犯人征伐に乗り出した。その結果、アメリカは二ヵ月もたたないうちに有利に立って勝ち抜き、今や大筋の部分で片をつけてしまった。

きっと「アメリカの面子に掛けても」という悲愴な思いがあのようなスピーディーな行動を起こさせ、アメリカを奮い立たせたのだろう。お見事というしかない。






それに比べて日本はどうか。湾岸戦争での屈辱を二度と味わってはならぬ。

今回も「一国平和主義」では、世界の孤児となってしまう。というので、国家は遅まきながら、テロ対策特別法案を成立させている。もっともこの法案だが、例の小泉総理靖國神社公式参拝前倒しとそっくりで、ただただ国際世論が気になって、それが気がかりなばかりに、なんとかその非難をかわすために、あわててとってつけたように作った法律であることがみえみえで、今ひとつ危なっかしい。まるで「頭隠して尻隠さず」というか、これではザル法と指弾されても反論のしようがない。

そういえば、インターネットを覗いていたら、ある自衛官の愚痴=疑問が目に入った。紹介するとこうだ。

「審議の中で自衛隊を海外に派遣する際、武器をどうするかという議論が相変わらず行われていました。我々自衛官から見ると、武器を持つから自衛官であって、武器を持たなければただの人になってしまいます。輸送支援だけに行くのであれば、民間の輸送の専門屋さんが行った方が効率的だし、それによって雇用も拡大します。武器を持たない自衛官が行って、捕虜になったりしたら、国際的にも物笑いになると思うのですが・・・。国会議員だって議員バッチをつけているから国会議員であって、バッチがなければただの人。こんなことを言うと、きっとエライ人から叱られるのかもしれません。『与えられた装備で、与えられた任務を完遂しろ!』って。そういえば、自衛隊入隊時に、制服を支給されて、サイズがあわなかった時も『服に身体を合せろ!』と言われました。この精神は現代でも生きているのですね。おまけに、野党の中にはテロリスト側の主張を受け入れて、アメリカを非難している議員もいます。『現在はそんなことを論議している時なのでしょうか・・・』。地下鉄サリンで懲りたはずなのに・・・『のど元過ぎれば熱さ忘れる』。こんなアホな論議は、国費のムダ遣い、時間のムダとしか言いようがありません。ほんとうにこの国は平和ボケしています」と。

そう、この延長線上に、小泉総理によるあの小賢しい前倒し靖國神社公式参拝が、ちらちら見え隠れしている。と、こう思い憤慨するのは私だけだろうか。

(了)

(注) この記事は月刊「やすくに」の本年2月1日号より転載しました。






平成14年2月25日 戦友連397号より


【戦友連】 論文集