小泉総理、慙愧の
靖國神社参拝後に残った所感



英霊にこたえる会中央本部 
運営委員長 倉林 和男   
(元空将補)  







新たな戦没者慰霊施設が急浮上




昨年小泉総理は、繰り返し表明していた八月十五日の靖國神社参拝を急遽変更し、二日前の十三日に参拝した。このことは国民周知の事実であるが、その折り、靖國神社とは別に、国立の戦没者の慰霊施設を新設する構想が表面化し、目下、福田官房長官の下で、民間の有識者十名で構成する『追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会』(以下「新懇談会」)を発足させ、おおむね一年をめどとして、設置する方向で検討が進められていることについては、意外と知られていない。

さて、この種の慰霊施設についての考えを、過去において最初に口にしたのは、靖國神社法案が三度廃案となり、昭和四十七年に四度目の国会への提出となった当時の中曽根自由民主党総務会長であり、近くは平成十一年の野中官房長官の記者会見での発表であったが、いずれもその後立ち消えとなっている。

そして最近では、昨年六月の国会における党首討論時に、鳩山民主党代表と土井社会民主党々首から話しを合わせるように提案があり、引き続いてこの月の参議院決算委員会で公明党の海野委員から、それぞれ小泉総理に対して提案があったが、総理は、党首討論時の答弁ではこれを軽く受け流す程度に終始したが、決算委員会にあっては「検討に値いする」との前向きの姿勢を示した。

次いで浮上したのが今回の件であり、当初新懇談会は九月に発足の予定であったが、九月十一日の米国での同時多発テロが影響してか、十二月十九日に第一回の会合を開き、その後数回開いて今日に至っているが、小泉総理の意図、福田官房長官が人選した新懇談会のメンバーからみて、今後の推移とその結論には予断を許さないものが潜んでおり、この、国の誤った暴挙は断乎阻止しなければならない重大課題である。






慰霊施設発想の矛盾と公式参拝の無知




ところで、この戦没者慰霊施設の発想は本来、小泉総理が八月十三日に靖國神社に何らかの制約があって「参拝できなかった」という場合に、その代案として出てくる筋合いのものであろう。それが、曲がりなりにも十三日に参拝したのであるから、次につながる思考は、通常にあっては「参拝の継続」ということであるべきなのに、その道理が逆転しており、その発想には大きな矛盾があり、合点のいかぬものがある。

また、今回の小泉総理の参拝をめぐっては、またしても無知の違憲の論議を呼んだが、言う方も、言われる側も、これまでに最高裁判所で公式参拝を違憲とする判決は一度もなく、さらにまた行政府としても、昭和六十年八月十五日の中曽根総理の公式参拝に当って、すでに解決ずみであることを知ってか、知らずか、違憲を口にする反靖國の(やから)は、年頭に慣例となっている総理・閣僚の伊勢神宮の参拝には一切口をとざし、違憲ととがめられる官邸側も返す言葉がなく狼狽(うろた)え、今度訪日されたブッシュ米国大統領の明治神宮参拝の際の小泉総理の対応は、無知の一事を物語っているということができる。

少し長くなるが、小泉総理の今回の参拝は違憲ではないとする経緯を、参考までに次に記すことにする。

十七年前の昭和六十年、八月十五日に中曽根総理が靖國神社に公式参拝を行うに当っては、その一年前の昭和五十九年から、藤波官房長官の下に有識者十五名からなる「閣僚の靖國神社参拝問題に関する懇談会」が設けられ、審議が重ねられて、昭和六十年八月九日に次の報告(答申)書が提出された。

「靖國神社への公式参拝を実施する場合には、・・・政府は、社会通念に照らし、追悼の行為としてふさわしいものであって、かつ、その行為の態様が、宗教の過度の癒着をもたらすなどによって政教分離原則に抵触することがないと認められる適切な(参拝)方式を考慮すべきである。」とし、このようにして公式参拝した場合には、違憲ではないとの見解を示した。これをうけて行ったのが、一礼方式の公式参拝であったのである。

そして藤波官房長官は、参拝前日十四日に、「一礼方式の参拝であれば違憲ではなく、従来の、公式参拝は違憲の疑いをなしとしないとの政府統一見解を変更する。」との談話を発表したのである。

また翌年八月十五日には、中曽根総理は参拝を見送ったが、その前日の十四日の、後藤田官房長官は談話を発表して、「藤波官房長官談話は今日も存続しており、その見解には何ら変更はない。」旨表明しているのである。

したがって、小泉総理の昨年の公式参拝の方式は、中曽根総理とは同一ではなかったが、最終的には一礼方式であったのであり、違憲ではないのである。






小泉支持の世論を無視できなかった中国




今度の小泉総理の靖國神社参拝をめぐって、意外と見落とされている事柄に、「中国がとった動向」がある。

それは、昭和六十年八月十五日の中曽根総理の公式参拝時の居丈高の干渉と比較して、そのトーンと中味、そして、干渉の仕方の変化が認められる。

当初、唐家(王旋)外相が田中外相に対して、「参拝を止めなさい」とゲンメイしたとの件が伝えられたが、公正にみて「言明」であったであろう。いずれにしても、唐外相が田中外相に参拝阻止を大いに期待して託した工作は失敗に終わり、次に打ち出したのが与党三幹事長と野中元幹事長らの訪中を求めて提示した、「仮に参拝する場合は八月十五日を外す・・・(中略)、このほか(1)私的参拝であることを明確にする(2)A級戦犯でなく一般戦没者の慰霊目的であることを談話の形で示す」(平一三・八・七読売夕刊)との最終要請である。

さて、このことを裏返して読んだ場合、「八月十五日以外の参拝であれば依存ありません」となったことが、注目されるところである。

では、この豹変は何がそうさせたのであろうか。その一つは、圧倒的多数の小泉支持のわが国の国民世論である。ちなみに、昨年六月一日のフジテレビ「報道2001」の世論調査での小泉内閣支持率は、九十・四パーセントを示しており、さらに付記するならば、いわゆる”小泉効果”による靖國神社参拝者の激増を挙げることができる。

そして、その二つ目としては、小泉総理の(八月十二日までにみせた)不退転の政治姿勢にあったとみることができる。

たまたま本稿を記している三月二日の産経新聞に、「靖國参拝 男に任せておけませんわ 女性中心の戦没者慰霊 あす開催」の見出しの記事が掲載されたが、デヴィ・スカルノさん、朝丘雪路さんらが、「外国に気がねして、首相が終戦記念日に靖國神社にお参りできないなど、今の男性は情けない。女性のパワーで日本を立ち直らせたい」と、翌三日の桃の節句に、靖國神社で『英霊を慰め日本を守る女性たちの集い』が催される旨報じている。

よくぞ、やっていただいた、と大きな拍手をおくる一人であるが、国民の一人びとりが、このように声を大にして、できることから実践することこそ、日本回帰の原点である靖國問題解決の鍵であり、さらなる世論形成を求めてやまない次第である。




平成14年3月25日 戦友連398号より


【戦友連】 論文集