今年は靖國神社を守る勝負の年



前参議院議員  板垣 正




「端的に言って、小泉政治は”強い言葉、弱い腰”の政治です」(中西輝政氏)―――。

靖國神社参拝をめぐる昨年末の小泉政治の流れを見ると、まさに然りと言わざるを得ない。

信じがたいことであるが、靖國神社に代わる「国立慰霊施設」新設構想が、すでに政府の「私的懇談会」で検討されている。成り行きによっては、靖國神社の存在そのものがないがしろにされかねない深刻な事態と言わなければならない。なぜ、こうした事態が招来されたのか。





昨年、小泉首相は「必ず八月十五日に靖國神社に参拝する」との再三の公約を撤回し、十三日に”前倒し参拝”した。

内閣総理大臣として八月十五日に堂々と参拝し、日本の主体性を取り戻し、国民の絶大な支持と期待に応えるべき絶好の機会を逸したことは、極めて遺憾であった。

しかも十三日の参拝は、所詮、内外の反対圧力に屈した結果であり、かえって靖國神社問題を混迷に追いやり、重い後遺症を引き摺ることとなった。その元凶は八月十三日の「首相談話」そのものである。

「首相談話」は、その冒頭において、悪名高い「村山謝罪談話」を下敷きにしながら、さらに強い調子で、先の大戦における日本の行為に対する非を鳴らし、ひたすら反省・謝罪の意を表明している。

これが、いやしくも靖國神社参拝に際しての日本国総理の公式談話とは、到底信ずることはできない。

それは、一方的に日本を断罪した東京裁判史観そのもので、いま求められている「自国の歴史に対する愛情」のかけらも見られない。





さらに問題なのは「談話」の末尾の次の部分である。「今後の問題として、内外の人々がわだかまりなく追悼の誠をささげるにはどのようにすればよいか、議論する必要がある」

これは、まさに靖國神社に代わる「国立慰霊施設」新設の提起に外ならない。しかも福田官房長官は、官房長官の諮問機関として私的懇談会を設け、早急に検討する考えを当日表明した。

諸般の状況で遅れていた「私的懇」を発足させたのは、小泉首相の訪韓である。

小泉首相は、中国および韓国との関係修復のため、昨年十月八日、十五日と慌ただしく日帰りで訪中、訪韓を果たしたが、後味の悪い「おわび行脚」の記憶は新しい。

そして、金大中大統領との首脳会議で、小泉首相は、靖國神社問題について「戦没者への慰霊を内外の人がわだかまりなくできるように、政府内に懇談会を設置したい」と述べたと伝えられている。さらに十月二十日の上海における両者の再会談でも、小泉首相は「年内に会談を発足させる」意向を明らかにしたと言われる。この問題が、日韓の外交問題として位置づけられたことは重大である。





かくして去る十二月十四日、懇談会は「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」として発足し、今井敬経団連会長以下十名のメンバーも決定した。

福田官房長官は記者会見で「戦没者等に追悼の誠を捧げることのできる記念碑等、国の施設の在り方を幅広く議論するため」と懇談会の目的について明らかにし、「追悼施設の必要性や名称、設置場などを具体的に議論していただく」と説明した。

「懇談会」は、十二月十九日夕、首相官邸で初会合を開き、座長に今井敬経団連会長を選任し、一年をめどに報告を出すことを決定した。




小泉首相は靖國神社参拝継続を



靖國神社別建論の根は深い(拙著『靖國神社公式参拝の総括』展転社刊参照)。しかし、政府の関りで靖國神社に代わる施設について正面から取り上げたられたのは、戦後最初である。「私的懇」は政府の意図実現の隠れみのと見てよい。

加えて、「懇談会」の発足経緯、加えて本年は日中国交正常化三十周年、日韓共催サッカー・ワールドカップで、小泉首相は、対中韓関係修復に本腰と言われる。

「懇談会」の前途は予断を許さず、小泉首相のトップ・ダウンで一転決着の可能性すら危惧される。

まさに、本年は靖國神社を守る勝負の年と言うべきである。昨年以上の反靖國勢力の攻勢の中で、戦没者慰霊の中心的存在であり、百三十年の風雪とともに護国の英霊神鎮まる靖國神社を守り抜かなければならない。そして、小泉首相が毅然として参拝を継続することこそ、救国の大道と信ずる。

(注) この記事は国民新聞1月25日号から転載しました。






平成14年4月25日 戦友連399号より


【戦友連】 論文集