小泉総理歴史を勉強して下さい





ビルマ英霊顕彰会副会長 桑木 祟秀







最近は党としての活動は殆どしておられないようであるが、青年自由党の党首である中村功氏が発行している新聞『漁火(いさりび)』四月号に中村氏が書いておられる第一面の論説に、如何にもその通りだと賛同したので、それを紹介しながら私の小泉総理への思いを書いてみたい。





それは、国をリードする立場に立つ者は、優柔不断では国の舵取りはできないということで、その典型として、ブッシュ大統領が明治神宮に参拝された時、小泉総理が一緒に参拝しなかったのは、マスコミや野党などから憲法問題、宗教問題で質問されるのを恐れたからであろうが、なぜ勇気を持ってそれができなかったか、それは信念がないからだと中村氏は言っておられるのである。そして、リーダーたる者は、多くの人が反対しても、場合によっては理解されなくても、正しいことで必要だと思うことは断行しなければならないと強調しておられる。

その例として、日米安全保障条約改正のとき安保騒動がおこり、何万人という人が国会議事堂を取り囲んで反対したが、当時の岸信介総理は命をかけてやると決断した。当時のマスコミは、岸さんに猛烈な罵詈雑言を浴びせたが、結局岸さんは為し遂げた。そういうリーダーが今必要だということを、中村氏は書いておられるのである。





小泉総理は、組閣以来常に「聖域なき構造改革」を唱え、「誰が反対しようと、やろうと思ったことは必ずやる」と揚言して、国民の支持率八〇パーセントを越すという最近では珍しい高支持率を得た。しかし北朝鮮の金正男と覚しき不正入国者が来た時は、腫れ物に触るのを恐れるが如く、護衛までつけて中国に追い返したし、八月十五日には必ず靖國神社に参拝すると繰り返し明言していたのに、直前になって八月十三日参拝に前倒ししてしまった。

それでも、靖國神社に参拝されたのだから評価しなければというのが我々を含む多くの国民の声ではあったが、ドッコイその後の「アジア諸国への謝罪のコトバ」というのが余りにもひどかった。村山首相の曾ての謝罪のコトバを、予てから苦々しく思っていた心ある国民にとって、それ以上に自虐的な謝罪のコトバを小泉総理から聞こうとは!





小泉総理よ、失礼ながら、あなたは日本の歴史を勉強しておられるのでしょうか。

あなたは訪中の折、盧溝橋を訪ねられたと聞いておりますが、そしてそこが日中戦争(正しくは日支事変)の原点だということで、謝罪の意を表されたということですが、この事変がなぜ起こったのかご存じなのでしょうか。日本軍が協定にもとづいて合法的に夜間演習をしていた所へ、突然実弾が飛んで来て、結局それが引き金になって泥沼の戦争になってしまった。その引き金を誰が引いたのかは、今も正確なことは分からないままであるが、共産党の劉少奇の命令の下に国民党軍に紛れ込んだ共産軍の兵士であるという説が、一番信憑性が高い説のようである。(中共軍の「戦士政治課本」という本の中にも、「事件は劉少奇の指揮を受けた一隊が決死的に中国共産党中央の司令に基づいて実行した」とあるという)

「泥沼の戦争」と書いたが、日本は常に不拡大方針を唱え、幾回も協定を結び、何とか和平に導こうとしたが、それを破ったものは常に中国側であった。日本軍の戦った主敵は蒋介石の率いる国民党軍であり、共産党の率いる八路軍は、ゲリラとして日本軍を悩ますことはあったが、決して正面の敵にはならなかった。中国国内では、日支事変が始まる前から、蒋介石の国民党軍と毛沢東の共産軍が内戦を続けていたのであるが、共産党は国民党軍と日本軍を戦わせて両方の戦力を消耗させ、その間に共産軍が力をつけようとしたのである。

昭和二十年八月に日本が連合国に敗れ、自動的に日本軍が中国から引き揚げた時、中国には再び内戦が始まったが、日本軍との戦いに疲れた国民党軍は忽ち共産軍に敗れて、台湾に逃げ延びる外なかった。正に共産党の思う壺であった。だから戦後、日本社会党(当時)の幹部の一人が毛沢東を訪ねて過去を謝罪した時、「何も謝ることはありませんよ。日本軍が蒋介石を倒してくれたお陰で、共産中国が生まれたのですから」というような意味のことを言われたという。小泉総理、このようなことは聞いておられるのでしょうか。

中国は盛んに「日本が侵略して中国をひどい目に合わせた」という歴史カードを振り廻して、日本を屈伏させようとしていますが、実体はこの通りなのです。中国だって或る程度のことを知っているのでしょうが、中国人民を統一する方便として、このカードを利用しているのでしょう。政治的には一々これに反論して相手を怒らせることもないでしょうが、知っていて黙っているのと、知らないで謝るのとでは大違いです。





いわゆる戦犯問題についても、「日本は講和条約で東京裁判を受け入れたのだから、それに従うのは当然」という声をよく聞きますが、講和条約ではJudgement即ち判決を受け入れたのであって、裁判そのものを受け入れた訳ではありません。だからA級戦犯と言われた者も、日本人にとっては犯罪者でも何でもないのです。殊に日本の伝統文化では、たとえ悪虐の人と雖も死ねば鞭うつことなく弔うというのが国民感情で、中国人のように墓をあばいてでも死者に鞭うつという習慣はありませんから、そのことはしっかり中国政府に納得させるべきなのです。たとえ靖國神社以外に慰霊施設を作ったところで、慰霊の対象からいわゆるA級戦犯やB・C級戦犯が除外されるという保証はないのです。また除外する理由もないでしょう。そのことをしっかり中国政府や韓国政府に告げるべきです。

日本人が戦死者を弔う中心施設は靖國神社を措いて他にないことを、ここでしっかり確認して置きたいと思います。中国や韓国にも、これが国民感情だとハッキリ言うべきです。





タイのククリット元首相が「日本のお蔭でアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生れた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が米・英と対等に話ができるのは、一体誰のお蔭であるのか。それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである」と言われたコトバは、アジアの多くの人々が大東亜戦争をどのように受けとめているかを知る貴重なアカシではないでしょうか。日本人はもっと誇りを持ってよいのです。靖國の英霊は、決して犬死にした犠牲者ではないのです。

私は、政治家たる者はもっともっと正しく日本の歴史を知るべきだと思います。

小泉総理、どうか歴史を勉強して下さい。そしてアメリカのブッシュ大統領のように、堂々と胸を張って、靖國神社へでも明治神宮へでもお参りして下さい。正しい歴史を知り、伝統を知り、信念を以て行動すれば、誰が何と言おうと恐れることはない筈です。







平成14年4月25日 戦友連399号より


【戦友連】 論文集