屈辱、悔恨そして英霊に誓う
祖国日本の再建は靖國神社から






世界に恥じを晒した在瀋陽日本領事館の失態



サンフランシスコ講和条約が発効してわが国が独立主権を回復して丁度50年目の今年、四月末から五月上旬にかけての連続休日の期間、国を憂える友好諸団体による幾つかの国民集会が相次いで催された。そのテーマは、戦後半世紀を過ぎても尚敗戦のトラウマ(心の傷)に疼き、その病根は政治・教育・文化等社会事象全般に蔓延し、遅すぎたりと言えども今にしてこれを絶たなければ、亡国の奈落の底に落ち込む日も間近なわが国の現状を直視し、その病原菌の退治に命を懸けて闘う決意を固め、闘魂を盛り上げることにあった。今「日本は本当に独立主権国家ですか?」と問われて、果たして何人が「はい。そうです」と答えることができようか。その処方箋は解ってはいるが、如何して即効的効果を上げるべきかと思い悩んでいた矢先、突如としてわが国の主権が侵害されるテレビ画面が生々しく眼前に飛び込んできた。

それは去る八日午後二時過ぎ、北朝鮮の亡命希望者が瀋陽の日本領事館に救いを求めて飛び込んできた五人を、中国の武装警察が在外公館の治外法権を規定したウィーン条約第31条に違反して、日本総領事官内に不法侵入して彼等を連行したあの画面である。か弱い幼児を抱えて必死に抵抗する母親を、無理やり門外に引き摺り出すシーンは二度と見るに忍びない痛ましさである。又この騒ぎに集まった路傍の人々の焦燥さと比較して、何の抗議らしい素振りも見せず第三者風に落ち着いた態度の二、三人の領事館員の行動は、何とも不可解である。一見「やらせ」とも思えるこのビデオは、韓国のNGOが予め情報を得て準備撮影したとのことであるから、当然この日の亡命者の発生については、中国側はもとより、日本の領事館側にも把握されていたに違いない。若し現地日本側が情報を掴んでいなかったとすれば、職務怠慢も甚だしい。
川口外務大臣は駐日武中国大使を呼び厳重抗議し、謝罪と五人の身柄引き渡しを要求したとのことであるが、阿南日本大使が中国政府に抗議したのは事件発生の翌日であったことは、彼がチャイナスクールの優等生で、親中事勿れ主義の代弁者であることを如実に物語っている。情報通の語るところによれば、序列を飛び越して彼が中国大使に抜擢されたのは、かつて公安関係の中国女性とのスキャンダルを噂された元H総理の口添えであったとか。いずれにしろ自民党大物政治家がその弱みを中国に握られていることは、巷間よく耳にすることで、今回の事件もわが国がかの国からなめられているから起こったのである。中国に対する弱腰外交がこのような人道上にからむ問題を孕んで、世界にその恥をさらけ出したことは国益を損なうこと甚大で、関係者の厳重処罰は勿論のこと、事情調査に赴いた外務省幹部の偽り無き情報開示を強く要請するものである。




予想される中国の対応



わが国の抗議に対して、5月12日現在中国の回答は、当初は領事館員の安全確保のため不審者の侵入を防止するための行動で条約違反ではないと抗弁し、次いで副領事の了解を得て行ったと付言した。越境入国者を北朝鮮に強制送還することは彼等の原則であるが、他国の主権を侵害し拉致連行した今回の亡命希望者については、その一部始終が天下に明らかになった今、韓国の消息筋が推測しているように強制送還は有り得ず、第三国を通じて亡命を認める措置に出るのではないか。ただし日本に対しては、絶対に前言を翻さず、謝罪などは以ての外、むしろ人道上の見地から日本のために配慮した措置であると、わが国に恩を着せ貸しを作り、その見返りを求める謀略を練っているのではないか。私の恐れているのは、この謀略に乗り或いは乗ったふりをして、靖國問題や中国の排他的水域内に自沈した北朝鮮の不審船と称する領海侵犯武装工作船の引揚作業を行わないことを画策している国内反日勢力に、格好の口実を与えることである。

今回は明らかに中国がわが国の主権を侵害したのである。靖國問題にせよ、教科書問題にせよ、或いは不審船引揚げにせよ、わが国の主権の正当な行使であり、他国から何等の干渉を受ける事柄ではない。敵失に乗じて優勢を勝ち取るまさに好機至れりである。毅然たる態度で事に当たり、中途半端に妥協することなく、中国との真の友好関係の構築に、恐れず怯まず拘らず、小泉総理のリーダーシップの発揮を切望する。




小泉総理春季例大祭初日靖國神社参拝



これは昨年八月の参拝に続く再参拝であり、内外からの靖國反対勢力に臆せず決行したその勇断は大いに評価して然るべきである。この参拝について、又もや中国からは猛烈な反発の声が上がった。江沢民国家主席は、小泉総理を信義違反と激しく非難し、これは「国家対国家」・「歴史対歴史」の問題で「絶対に許せない」と日本を属国扱いした暴言を口にした。辛辣な中国批判で著名な黄文雄氏は、その近著『日中戦争知られざる真実』で、中国共産党のホンネは「日本の属国化であり、日本への歴史認識の強要はその戦略の一環で、靖國参拝、政府高官の発言、司法裁判、マスメディア、日米安保などの国内問題に対して、いつもいつも歴史問題を絡めながら干渉してくるのもそのためだ。実際、すでに外務省などは中国の圧力に屈し、その操作下にあるといっても過言ではない」。
更に今後もこの問題で低姿勢を続ければ、中国からは政治的従属国と見なされ、その歴史捏造を助長させることになる。だから日本政府は堂々と中国に異を唱えるべきだと警告し「日本では多元的な歴史観が認められているが、反国家的な進歩的知識人はやはり『獅子身中の虫』であり、国民の利益を損なう者たちだ。歴史問題での彼等の活動は『国家否定』や『革命』を目的とした時代錯誤的なものであり、外国に『ご注進』して外圧を誘導するに至っては、明らかに国家体制を危うくする。」とわが国の直面している危機を的確に指摘している。

共産党独裁政府下で社会主義市場経済との名目で開放政策を推進し、過去十年近く年々二桁に近い目覚ましい経済発展を遂げ、つい最近WTO(世界貿易機関)に加盟するまでに成長した中国であるが、一部の経済学者の指摘するところでは、その経済統計を子細に分析すると明らかに誇張や矛盾点が見出され、それによれば、二年ぐらい前からその成長は停滞し、昨年度は実質的にマイナス成長ではなかったかと推測している。しかもその経済成長の果実を満喫したのは六千万の共産党員のみで、他の十数億の民衆は貧富の差の拡大に悩まされ、内心では政府不信が巷に満ち、支配者層では汚職がはびこり、被支配者層では拝金思想一本槍の何でもありとのこと。わが国に対する不法入国者やそれらによるピッキング等の凶悪犯罪の急増などに思いを致すとき、成る程と首肯するものがある。
この共産党独裁政府の失敗を覆い隠し、国内の統一を維持するためには、外国に敵を作り、人民の愛国心と民族主義の高揚に訴えることが唯一の道であり、その格好の目標がありもしない日本の軍国主義の復活を吹聴することである。靖國神社参拝=軍国主義の復活の戦略的思考の発想となる所以である。




それにしても今回の江沢民の妄言は度を越している



そこには何か特別の理由があるのではないか。四月発行のサピオの記事や新聞報道などから類推して、独断と偏見を顧みず私なりにその原因を探索して読者諸兄のご批判を乞いたい。
今や中華人民共和国は建国以来五十数年を経て指導者層は、第三世代から第四世代に移り変わろうとしている。この秋の第16回党大会で江沢民(国家主席・党総書記・軍事委員会首席)、李鵬(全人代常務委員長・日本での国会議長)・朱鎔基(首相)のナンバー一、二、三は今までの約束事ではすべて引退し、胡錦濤(国家副主席・軍事委員会副主席)、曾慶紅(党中央書記)、温家宝(党中央書記)等への若返りすることになっていた。しかしここにきて以前には江沢民より序列が上であった李鵬が国家主席の座を窺い、江沢民も予定路線の胡錦濤への党・政府・軍事の三権の全面委譲を留保し、恩師であるケ小平の院政に倣い、軍事委員会首席の座に止まり国家主席引退後も軍の威圧の下に党運営に影響力を行使することに頭を切り替えたのではないか。そのためには、軍の将軍連中のご機嫌取りが必要であり、保守的傾向の極めて強い彼等を宥めるには日本軍国主義の復活の象徴として靖國神社参拝を位置付け、その参拝阻止に常軌を逸した憤怒のゼスチュアを現し軍の関心を引き止める挙に出たものと思われる。中国共産党の権力争いの具に靖國参拝が供せられるとは、真に遺憾千万で英霊に申し訳なく慙愧に堪えない次第である。






しかもこの「歴史カード」を彼等に与えたのは、十七年前我こそは靖國公式参拝の一番乗りとばかり、仰々しく大言壮語しお祓いも受けず一礼方式で参拝し、中国からの非難に遭うやたちまち尻尾を窄め『A級戦犯』分祀などを言い始めた中曽根元総理であり、その罪は万死に値する。

この参拝を行うに当たり、中曽根総理は当時の藤波官房長官の下に私的懇談会「閣僚の靖國神社参拝問題に関する懇談会」を設け、一年掛かりで検討させ、昭和60年8月9日報告書が提出された。その内容は、委員の一人であった江藤淳氏が「生者の視線と死者の視線」で悲憤慷慨しているように、一部憲法学者により違憲か合憲かなどの憲法論議のみに終始し、日本の伝統・文化・習俗等は無視され、靖國神社の本質を弁えない代物であった。その災いが本年我々が最重要課題として対決すべき福田官房長官の私的諮問機関である「追悼・平和祈念のための記念碑等の在り方を考える懇談会」の論議に反映されている。




この懇談会ではどんな論議が行われているか



昨年12月19日を第一回として去る5月7日の第五回まで既に五回の会合が持たれており、その議事要旨は4月11日の第四回まで官邸のホームページに公開されている。5月3日に公開された議事要旨で肝心な点を吟味してみよう。




どうやら会議をリードしているのは、座長代理の山崎正和委員のようである。冒頭、「靖國の問題は非常に重たい問題で避けて通れないし、あるいはこの懇談会の中にも靖國があるからそれで十分だというような見解の方もきっといると思うが、それはあえて避けておきたい。」として新施設の建設に積極的姿勢を示す。十人の委員の中で建設反対を鮮明にしているのは坂本多加雄委員只一人である。
次いで「新たな施設は、国の公的な施設として国がその運営に当たり、戦争や事変によって命を失った方々の霊、そして恒久平和を祈念する決意を新たにする施設ということである。慰霊の対象は明治維新以来、我が国が関わってきた戦争や事変によって命を失った軍人及び一般市民とし、日本国民だけでなく外国の犠牲者も等しく含めるべきである。・・・」。
この文言から読み取れる事は、一般戦災者も含んでおり、事実外の箇所で「国権の発動により、積極的、消極的に関与した犠牲者」との表現がみられ、一般戦災者は消極的犠牲者との説明があり、その不幸に対して同情することに(やぶさ)かではないが、国民の義務として防人(さきもり)の御楯となった英霊とは判然と区別すべきであろう。ましてや敵対した外国人をも合祀するなど、外国からすれば全く余計なお世話で、彼等は夫々の国でその習俗にしたがい手厚くお祀りされており、それを尊重することこそ礼に適うというべきである。
そして最後に「靖國懇の論点は、いろいろな意味でこの会で継承しているつもりである。まず、公式参拝という言葉を3つのカテゴリーに分けている。それで3番目はないということを受けてその積極的公式を考えようと。・・・」。これは何を意味するか。藤波官房長官時代の「靖國懇談会」の報告書の中で「公式参拝の憲法適合性に関する考え方」の一項として「公的地位にある人の行為を公的、私的に二分して考えることに問題があり、(1)私的行為、(2)公人としての行為(総理大臣たる人が内外の公葬その他の宗教行事に出席するごとき行為)、(3)国家制度の実施としての公的行為、の三種に分けて考えるべきであるが、閣僚の参拝は(2)のみとして許される。」とあり、3番目はないのでその積極的公式を考えるということは、国家制度としての戦没者に対する慰霊はどうあるべきかを検討するということである。
憲法20条の政教分離規定の解釈が、昭和60年と比較して益々狭義化しつつある法曹会の現実を顧みるとき、憲法の改正なくして我々の究極の悲願である靖國神社の国家祭祀は有り得ない。最近の読売新聞の調査では、国会議員の75%が改憲賛成とのことであるがムードに敏感な議員心理の反映とみるべきで、現に国会の憲法調査会の審議も遅々として、憲法改正に必要な国民投票法の法案提出の動きもみられない。改正の機が熟すのは早くても後五年待たねばならないだろう。しかし、この懇談会は遅くともこの秋までに結論を出すだろう。




上述したように戦争犠牲者の国としての制度的慰霊方式云々を論議している殆どの委員は、論理上も「国立慰霊施設」新設に票を投じることは明白だ。一度「国立慰霊施設」が成立すれば、多くの国民が戦没者慰霊の中心施設と認識している靖國神社はその存在意義が否定されることとなる。こんな亡国に直進する邪悪な構想を許してたまるか。我ら命に代えても絶対に阻止しなければならない。




早くも世論誘導に走る朝日新聞



5月3日に第四回懇談会の議事要旨が公開された翌日の朝日新聞は、『追悼施設必要論強まる。懇談会メンバー、首相靖國参拝に困惑』の見出だしで、小泉首相の突然の靖國神社参拝が首相の足元で波紋を広げているとして、懇談会メンバーは首相の行動に困惑の色を隠さない。周辺国の反発も予想以上に強く、新しい追悼施設が必要だという声が高まっている。と例によって外圧利用の世論のミスリードに走り出した。
一方5月9日の産経新聞は、正論欄に懇談会のメンバーの一人である上坂冬子氏の論文を掲載し、連休なかばに小泉総理の親書を携えて訪中し江沢民国家主席に面接、「絶対に許すことはできない」と怒号する小泉首相の靖國参拝を難詰する江主席に応対した公明党の神崎代表の受け答えには呆れた、という同女史の批判を紹介している。それによれば、神崎代表は「公明党としては首相の靖國神社参拝には反対しているが」と前置きした上で、小泉首相はアジア諸国に配慮して8月を避けたと答えた。外国の国家元首に対してなぜ公明党の立場など披瀝する必要があろうか。それをいうならせめて、日本国憲法の政教分離について解説をすべきだった。もし公明党として日本では政治と宗教の癒着を厳密に切り離すことになっているといえない裏事情があるなら、党として靖國参拝に反対しているなどと口にするのはおこがましい。いやそれ以上に、国家の尊厳を無視した与党としての二元外交を恥じるべきであろう。となかなか手厳しい。
この評論から学ぶべきことは、靖國問題や国家安全保障の基本理念において著しい相違のある公明党は、公宣流布や王仏冥合などと天下取りを豪語するなら、潔く与党の座を降りて独自の道を進むべきだろう。又自民党は現在最重要法案である有事三法案が公明党に遠慮してか中途半端な内容で自由党その他の批判を浴びているが、この危機管理が緊急の課題である国際情勢を睨んで、公明党と袂を分かつ覚悟で最適な法案の仕上げに努力して貰いたい。
些か筆が滑って横道に入ったが、本論の戻れば、上坂女史は一見「新慰霊施設」反対とみられるものの、政教分離原則については狭義解釈派に属し、靖國神社に理解を示しつつ新施設建設に妥協する可能性大と私には思われる。




反日勢力に勝とも劣らない実践行動こそが
今我々に求められている



4月28日の「主権回復50周年記念国民集会」には、九段会館大ホールを埋め尽くす参加者で大盛況、西村眞吾衆議院議員やその他の講師の熱弁を傾聴、最後に登壇した三輪和雄日本世論の会会長は、教科書問題で下都賀地区の戦いに負けた実例を挙げてわがサイドの努力の至らなかった点を反省し、これからは敵を上回る実践行動をやろうではないかとの声涙を絞っての訴えには大感動し、身の震えるのを禁じ得なかった。

又、5月5日靖國神社能楽堂前での首相の靖國神社参拝を求める国民の会主催の「日本再建は靖國神社から ― 日本の心を英霊に捧げる集い」には、能楽堂の向かって左側の桜の木は紙で作られた満開の桜で飾りつけられ、「花の梢で咲いて会おう」と誓いあった英霊のお姿が偲ばれ、能楽堂前境内に集まった五百人を超える参加者は各界第一人者の奉納する歌舞に我を忘れ、最後に英霊に捧げる言葉を述べたスカルノ・デヴィ夫人の靖國神社に代わる「新慰霊施設」の建設阻止に政府や国会にドンドン出かけて訴えましょうとの呼び掛けに感激、集いの終わりを全員で「海行かば」を合唱し、明日からの行動のスプリングボードとした。

次の集会は、首相の靖國神社参拝を支持する国会議員の会・首相の靖國神社参拝を求める国民の会主催で

「首相の靖國神社参拝の定着化を求める中央国民集会」
日時 6月11日(火)13時半開場 14時―16時
場所 赤坂プリンスホテル「五色の間」

で開催、その主張は

「靖國神社こそわが国の戦没者追悼の中心的施設である。」
「首相の靖國神社参拝の定着化を!」
「福田官房長官の私的諮問機関「平和祈念懇談会」が計画している国立平和祈念施設は結果的に靖國神社の存在を(ないがし)ろにすることとなる以上、その建設に反対する―」

(地下鉄銀座線「赤坂見附」駅、有楽町線・半蔵門線「永田町」駅下車一分―入場無料)

更に英霊にこたえる会では他の友好諸団体と協力して、7月に国会請願・厚生労働省・外務省・マスメディア等関係機関への示威・抗議行動を計画している。実施要項決定次第中央参加団体・各都道府県等に連絡する。目的貫徹のため最大限の動員を乞う。

終りに再び訴える。集会等で得た情報は、身近なところから働きかけ世論の喚起に精魂を傾けよう。内輪のグループで鬱憤の捌け口を求めるだけでは駄目だ。周りに働き掛け外延を広げよう。要は実践行動あるのみ。読者諸兄の益々のご健勝を祈りつつ擱筆する。




(文責  佐藤 博志)








平成14年5月25日 戦友連400号より


【戦友連】 論文集