靖國神社に代わる
戦没者施設の新設絶対反対






はじめに



六月二十一日午後一時過ぎ、地下鉄「永田町駅」に降りると、一見してそれらしき人々が赤坂プリンスホテルに向かい道急ぐ姿が大勢目に付いた。今日は、「首相の靖國神社参拝を求める国民の会」と「小泉総理の靖國神社参拝を実現させる超党派国会議員有志の会」との共催で、「〜靖國神社に代わる〜国立追悼施設に反対する国民集会」が、午後二時開会で同ホテル「五色の間」で行われるのである。所要で寄り道したため開場時刻に五分遅れて着いたが、案の定、二千席を超える大会場の一般席は満杯で、やむなく演壇中央真下の来賓席の空席に潜り込む。

受付で貰ったプログラムを見ると、第一部と第二部とに分けられ、後半の第二部は国会議員の発言に用意されてあった。以下、当日の集会の経過を、一部筆者の所感をまじえながら、ルポルタージュ風に読者諸兄にお伝えしたい。

その幕開けは、一瞬の闇からライトアップされて登場したテノール歌手片山賢吉郎氏の、英霊に捧げる歌「祖国」(同氏作詞作曲)の熱唱である。最後に二度繰り返す歌詞「・・・たとへこの身はくだけ散るとも とこしへの平和祈る ああ 燃えたぎる若き血潮よ 青年はいつもいつも祖国を愛す」の歌声に、場内は早くも感動の波に洗われる。




第一部




主催者代表船村徹氏(日本作曲家協会会長)の挨拶



「私は主催者というよりも遺族の一人としてご挨拶したい。長兄は、昭和19年2月16日ミンダナオ島沖で戦没した。残された日記帳によると、彼が市ヶ谷で陸士に学んでいた頃は、一日に何度も靖國神社にお参りしていたという。その時書き残した詩の一節に『桐の小箱に錦を着せて、帰るところは九段坂』とある。家族で時々亡き兄の話をするが、遺族として、今日までの靖國に対する国の粗末な扱いに憤りを覚えずにはいられない。」

筆者の知るところでは、船村さんの兄君は陸士53期生福田健一命で、宇都宮中学四年から陸士に進学した逸材。同期の方のお話しによると、船村さんは53期の慰霊祭等諸行事には常に参加され、厚誼を深めているとのことである。ここで陸士53期生の戦没者記録の福田健一命に関する追悼記事を借用すれば、『電信第24聯隊中隊長として、昭和19年2月ニューギニア作戦参加のためサイゴンより長城丸(二六一〇トン)で輸送中、雷撃をうける。2月16日ミンダナオ沖にて七三〇名と共に海没戦死。小肥りで穏やかな人物、外柔内剛、上下の信望に厚い。惜しい人材を失い残念至極なり。高名な作曲家船村徹氏は令弟で、今なお追慕止まず、62年2月16日現地で洋上慰霊をされた。』とある。船村徹氏の献身的英霊慰霊顕彰運動の真髄に触れた思い一入(ひとしお)

更に同氏は「国が亡びつつある原因は何か。先祖を崇めない家庭にいいことはない。家庭の集まりで成り立っている国家とて同じことだ。細胞が腐り始めているのではないだろうか。」と警句してその挨拶を締めくくった。

次は本日の提言者の登場である。




気鋭の直言者小林よしのり氏(漫画家)の提言
―靖國の英霊は我々を見つめている―



「本日のテーマ『国立追悼施設』は、中国や韓国からの圧力で、当初は靖國神社に代わる『国立墓地』の構想が浮上、その後宗教的配意から『追悼施設』へと変わったが、このような外圧は、教科書問題と同様明らかにわが国に対する主権の侵害である。」

「主権侵害といえば、戦犯の瀋陽事件では、中国に甘い多くのマスコミも珍しくすべて一致して中国の主権侵害と非難していたが、これはテレビ画像に写し出された『泣く幼児』に触発された単なるヒューマニズムへの感傷的態度の表明に過ぎず、サヨク的本質は何も変わっていない。」「米国の海兵隊では、戦死者の遺体を一体といえども戦場に残すようなことはしない。どんな犠牲を払ってでも取り戻しに行く。これが国家として戦没者に対する当然の儀礼ではないか。」

「今、世界はサッカーのワールド・カップで沸いている。先日日本が勝った対ロシア戦の時、モスコーでは日露戦争まで口にして暴動が起きたが、日本では和の心が先に立ち静かだった。しかし、常に融和のみに終始して国益を顧みないようでは、相手から舐められるだけだ。不当な内政干渉には断固として反撃しなければならない。今日の問題を解決する鍵はその中にある。英霊は我々を見つめているのだ。」

『ゴーマニズム宣言』で縦横無人の論陣を張る小林よしのり氏の口吻泡を飛ばす大弁舌を期待していた私には、些か拍子抜けの感じを受けたほど同氏の語り口は物静かであったが、さすがに事の本質を弁え、その内容は参会者の心の琴線に触れるものがあった。




渡部昇一(上智大学名誉教授)の挨拶の提言
―占領期間中の法律はすべて無効宣言すべきだ―



次いで登壇した渡部教授の弁舌は、小林よしのり氏と一転して豪快洒脱、張り詰めた場内に時として笑いの渦を誘い込んだ。

「私は長い間、上智大学に奉職してきた。同じ大学にブルーノ・ヴィテル神父がおられた。終戦直後占領軍は、日本軍人の敢闘精神の精神的拠り所は靖國神社にありとして、その焼却を計った。当時ローマ法王庁の日本使節であった同神父は、マッカーサー元帥に進言し『世界はいずれの国でも戦没者は国で手厚くお祀りしている。日本ではそれが靖國神社だ。それを焼却などしては米国は未来永劫にわたって消すことのできない汚点を歴史上に残すことになる。』と述べ、その暴挙を思い止まらせた。かくして靖國神社の焼却は免れることが出来た。」

「国際法にも米国の法律にも何等の法的根拠を持たない『東京裁判』で、近代日本は全部侵略国家だとの烙印を押された。その後遺症は皮膚病にたとえれば梅毒みたいなもので、その黴菌は体中あちこちにはびこり、治ったと思っていても時が来れば、又吹き出してきて始末に負えない代物である。」

「この病を根治する一つの手段がある。一九五一年(昭和二六年)五月三日の米国上院(各州2名選出、米国では最高権威の議決機関)の特別外交軍事合同委員会で、解任されて帰国した直後のマッカーサーは、『東京裁判は間違いであった。日本が戦争したのは、SECURITY(安全保障または自衛と訳してもよい)と証言した。』この事実を「NHKで一時間放送」すれば、この問題は解決する。しかし、彼等はやらせない。又やらない。何故か。日本のマスコミ・左翼・日教組等すべてパーとなるからだ。」(笑い)

「昭和27年4月28日、日本は独立主権を回復した。この4月28日は、祝日法を改正して祝日とし、休日として記念すべき極めて大事な日である。」

「主権のなかった占領期間中に制定された『憲法』や『教育基本法』等は、すべて国会で無効宣言を行えばよい。主権のなかった時に作られた法律をいまだに後生大事にしているのは日本だけである。」

そして提言の締めくくりとして、昭和初期の歌人「三井甲之(こうし)」の防人を称える歌「もののふの かなしきいのち つみかさね つみかさね守る 大和島根を」を朗々と吟詠して、満場の拍手喝采の中、降壇した。

渡部教授の主張は我らの代弁そのものであり、病原の所在もその処方箋もはっきりとしているのだが、今この国には、その良薬を逆に毒薬と詭弁を弄して服用させない薮医者が幅をきかせ、又患者側もそんなものかなあと不信の念を抱きながら大勢に順応する空気が漂っている。

マッカーサーは前述の証言時に、日本は自衛のために戦ったのだと述べた他、「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは、共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える。」とも明言した。私をして言わしめれば、その最大の被害者は日本人である。ソ連邦崩壊して既に十年余、極東以外の世界に最早共産主義に対する脅威は残っていないだろう。ところが日本の場合はどうだ。わが国は靖國問題を含め、領土侵犯、主権侵害等、恐喝的態度でその隷属的服従を要求してくる共産主義独裁国家の近隣諸国に囲まれているのだ。しかり、これらの国と内通し、祖国の国体破壊を狙う確信犯的反日分子と左翼的マスコミと、いわゆる進歩的文化人等が結託し、更に金銭絡みで相手の術中に踊らされ、国を売り兼ねない売国奴とも言うべき大物政治家の跳梁を許して、わが国は今存亡の岐路に立たされているのではないか。

しかし、独立回復後既に50年、押し付け憲法などといってその罪を最早米国にきせることは出来ない。それを放置してきた国民一人一人の責任であることを自覚すると共に、現議会制民主主義体制で、この国民の自覚を政治に反映して、国をリードする政治家を選ぶ政治改革を国民の総意として結集し実現させることが、当面の我々の責務ではなかろうか。

やや理屈に走り過ぎたが、ルポに戻ろう。いよいよ国会議員登場の第二部の開始である。はじめに最近の国会議員の動きを紹介しよう。




国会議員署名活動推進



「私たちは党派を超えて、首相の靖國神社参拝の定着化を要望し、新たな『国立追悼施設』に反対する国会議員署名を推進します」と主張し、広く国会議員に訴え、6月11日現在一二五名の署名を得た。その「呼びかけ人」は、次ぎの15名の方々である。


葉梨信行(自民党・衆議院・茨城3区)
中山利生(自民党・衆議院・北海道比例)
原田昇左右(自民党・衆議院・静岡2区)
相沢英之(自民党・衆議院・鳥取2区)
古賀誠(自民党・衆議院・福岡7区)
臼井日出男(自民党・衆議院・千葉1区)
中川昭一(自民党・衆議院・北海道11区)
高市早苗(自民党・衆議院・近畿比例)
関谷勝嗣(自民党・参議院)
森田次夫(自民党・参議院)、
   ― 以上自民党。

吉田公一(民主党・衆議院・東京9区)、
塩田晋(自由党・衆議院・近畿比例)、
小池百合子(保守党・衆議院・兵庫6区)、
粟屋敏信(無所属の会・衆議院・広島2区)。




国会議員署名活動推進



昨年小泉総理の「八月十五日靖國神社参拝」の決意表明を受けて、日本会議国会議員懇談会所属の議員が主となり結成した有志の会で、昨年も集会を開くなど積極的に活動した。今回の「追悼施設に反対する国民集会」にも、共催者としてその名を連ね、その政治的意義を高める原動力となっており、つい最近、高市早苗自民党衆議院議員がこの会の会長に就任した。






第二部




主催者代表山本卓真氏(富士通株式会社名誉会長)の挨拶



「昨年8月の小泉総理の靖國参拝には、80%を超える国民が賛意を表した。今年の春季例大祭の初日4月21日にも参拝された。是非、来る8月15日そして秋季例大祭と継続参拝して頂きたい。これこそ日本を再建する構造改革の第一歩と思う。」

「靖國神社と国家・国民との関係。私の兄もレイテ・オルモック特攻隊の一員として突入戦没したが、戦没者たちの遺言にみられるように、英霊として彼等を靖國神社にお祀りすることは、国と国民との間の揺るぎない公約であった。百三十年の伝統により守られてきた靖國神社の代替施設など、日本文化の破壊であり論外の沙汰である。」(筆者注・・・山本氏の兄君は山本卓美命で陸士56期生、昭和19年12月9日、勤皇隊の一員としてオルモック湾に特攻突入、壮烈な戦死を遂げた)

会場には続々と国会議員が詰め掛け、壇上の所定の席を占める。ここで本日参加の国会議員は本人40名、代理人71名、都合117名と発表され、会場に一際高い歓声が上がった。

参加国会議員の中から7名の方が登壇し、「追悼施設」新設阻止の決意の表明が行われた。以下発言順にその大要を述べる。




亀井静香(自民党前政調会長)



「本日参加の議員の数は少ないが、いずれも一騎当千の侍ばかりである。靖國神社に代わる『追悼施設』を造るなど、とんでもない。靖國の英霊をどのようにお祀りするかは、全くの国内問題、外国からA級戦犯どうのこうのと干渉されるいわれはない。」

「今、経済が低迷しているが、我々日本人の心が溶けて流れて行っているのではないか。今や国家対国家、民族対民族対決の時だ。今日の状態を一日の時計に(なぞ)らえれば、まさに午後8時半だ。ここで一秒でも時計の針を前に進めてはならない。皆さんとともに頑張って断固阻止しよう。」

冒頭に登壇した機を見るに敏な行動派の亀井議員の弁舌は、例によって歯切れもよく威勢がいい。是非、新設肯定派の福田官房長官とは意を異にすると思惟される小泉総理をバックアップして、新設阻止に持ち前の馬力を発揮していただきたい。




中山利生(自民党・衆議院議員・署名運動呼びかけ人)



「19歳で徴兵検査を受け、六ヵ月軍隊で奉公したが、終戦となり復員した。『靖國で会おう』と命を捨てて我々国民を守ってくれた英霊は神様、民族の誇り、手厚くお祀りすることは政治家の義務である。それに反対する政治家のいることは真に情けない次第である。」




中川昭一(自民党・衆議院議員・日本会議国会議員懇談会代表幹事)



「昨年8月15日の首相参拝を推進したが、残念な結果に終わった。」「その後懇談会が設けられたが、これは「私的」懇談会であり、結論は国会議員が決めることだ。国民の支持を得て絶対阻止しなければならない。」

次いで今話題のサッカーの話しを持ち出し、それに(ちな)む愛国心を訴えかけたが、場内から「今そんな呑気なことを言っている時ではない」「親父が泣くぞ」などの心ない野次が飛び、同議員は「愛国心の話しをしてはいけないですか」と発言を途中で打ち切り、場内は一時騒然となった。この時小林よしのり氏が立上がり、「中川先生は今立派な仕事をされている、日本再建には必要な人物だ」と野次る人を睨み、事態収拾に一役買って出たことは、極めて印象的であった。




高市早苗(自民党・衆議院議員・超党派国会議員有志の会会長)



「二週間前に会長に就任した。発言途中で降壇された中川議員の思いを含めてお話したい。私は日本を愛し、次の三つの理由で、この『国立追悼施設』に反対する。(1)故人を弔うことは、その思い出に耽る事である。その意味からいっても、英霊の言の葉を読みながら、戦没者を追悼できる所は靖國神社以外にはない。(2)靖國問題は国家内政事項。国家とは、国民・領土・主権から成り立っている。従って主権を侵害する靖國神社に関する他国からの干渉は絶対に排除しなければならない。(3)納税者の代表として、国費の無駄遣いは許せない。」「国費の支出には、国会の予算措置が必要である。その時に反対して予算を通さない。」

さすがに論客、テレビの討論会などでも説得力ある論理で相手方に迫る有名人。理路整然たる決意表明に参加者一同大いに納得、女性会長の実行力に期待すること極めて大、是非男勝りの意地を見せて下さい。




小池百合子(保守党・衆議院議員・呼びかけ人)



「懇談会の論議は時間と努力の無駄である。日本人は戦後教育によりその矜持を失った。皆さんと一緒に日本の誇りを取り戻そう。」




吉田公一(民主党・衆議院議員・呼びかけ人)



「外国に(おも)ねって造る魂の入っていない『追悼施設』に、誰がお参りするか。」

後刻、耳に入ったところでは、鳩山民主党党首は、新しい「追悼施設」の建設に賛成なので、同党所属議員には、反対集会等への出席は禁じているとのこと。その禁を犯しての本集会の参加議員だけに、その言辞は鋭く事の本質を突いており、真に頼もしい。




西村眞吾(自由党・衆議院議員)



「大東亜戦争の意義を、英霊と共に子々孫々に語り継いで行きたい。」

「大東亜戦争は戦い方がまずかったから負けたのだ。靖國の英霊は、荒ぶる魂となって犬死にさせるなと叫んでいる。」

「しかし、国を挙げて戦っている時、みを賭して勇んで戦場に赴くのも国民の崇高な務めだ。南西諸島方面で散華された林市造命の母君マツさんは、その手記に『一億の人を救ふはこの道と母をもおきて君は征きけり』と(したた)めている。」

最後の登壇者は、我らがホープ西村議員だ。先の大戦に至った正しい歴史認識を持ちつつも、敢えて無謀な戦い方を批判しているのは、兵站線の確保の手も打たず、徒に戦線を拡大したために悲惨な死を余儀なくされた数多英霊を悼むが故の自己反省であり、その英霊の献身を無視する今回の「追悼施設」構想の絶対阻止の固い決意の反語的表現と知るべきである。




古賀誠(自民党前幹事長・日本遺族会会長)より
集会に届けられたメッセージの意義



靖國問題に通暁し、我々の英霊慰霊顕彰運動の指導的立場にある大原康男国学院大学教授や百地章日大教授は、口を合わせるように、この靖國神社に代わる「国立追悼施設」建設阻止の最も効果のある手段として、日本遺族会の断固たる反対意志表明を挙げているが、同会と政府当局筋との従来の経緯から、今まではある程度バイアスのかかった反対的態度に止まっていたと私は思考しているが、本集会に寄せられたメッセージ(別掲)を読む限り、この面での相当な前進がみられること必定で、心強さを深く感ずる次第で喜ばしい。




決議文の採択



最後に、大原康男氏の朗読した決議文を採択して、この意義ある「国民集会」を盛会裡に終了した。参加者総数は2100名に及ぶ。決議文は別掲の通り。




おわりに



かくして、6月11日赤坂プリンスホテルに於ける「国立追悼施設に反対する国民集会」は、盛り上がる民意を反映して予期以上の成果を収めて終了した。が、本格的戦いはこれからだ。

「英霊にこたえる会」では、攻撃の矢の第二弾として、友好諸団体と計り「英霊にこたえる会実行委員会」を組織し、7月12日「〜靖國神社に代わる〜『国立追悼施設』の新設を断固阻止する国民総決起集会・行進」を日比谷野外音楽堂で決行し、広く国民世論の喚起に立ち上がった。その詳細は、主な戦友会の皆様には既に送付してお願いしてある「案内はがき」記載の通りである。

緊急動員!万難を排し、靖國神社を守るこの国民運動に馳せ参じよう。




(文責  佐藤 博志)








平成14年6月25日 戦友連401号より

【戦友連】 論文集