靖國神社の道理
若くして子孫を残さずして斃れし者の霊を誰が祀るのか




この記事は「日本会議」の五周年を迎えて、日本会議議長・三次(とおる)氏(元最高裁判所長官)と同副会長・小堀桂一郎氏(東京大学名誉教授)が特別対談をなさった記事の一部です。日本会議の月刊誌「日本の息吹」(平成14年11月号)より転載しました。






小堀  三好先生が日本会議の会長に就任なさいまして、ほぼ一年が経ちました。お陰様で先生のご就任以来、日本会議の志気が非常に高まりました。

三好  それはむしろ五年間の日本会議の活動の成果が現れてきたというべきであって、皆さんの尽力のお陰です。







小堀  まことによき指導者を得たということで、私共も非常に喜んでおります。私共日本会議の会員たちが、先生のご存在にハッと驚くほどの注意を引かれましたのは、平成九年四月二日、愛媛県玉串料訴訟の最高裁判決が出た時のことであります。

実はあの訴訟に関しては、私共は判決が下るまではやや楽観的でした。というのは、やはりこういう問題には道理というものがあるはずである。憲法とは元来はその道理を踏まえて成立したはずのものであって、所詮アメリカ人の作文になるその文面がたとえどうであろうと、とにかく五十余年の歳月を通じてそこにあるべき道理というものを、最高裁の判事さんらは読み取った上で判断を下されるであろう、と考えていたからです。ところが、結果はその期待に大いに反するものでした。私は、当時ある文面に「ここに、ついに理性の崩壊を見た」というような激しい表現まで用いたことであります。

ただ、そこで本当に救いでありましたのが、時の最高裁判所長官であられました三好先生とそれから可部裁判官お二人の少数意見でありました。靖國神社・護國神社という存在に対する日本人のこれまでの崇敬の感情を踏まえて大変見事な合憲論を示していらっしゃったのであります。私は、その三好先生の判決文を拝読して、柳田國男さんが昭和二十年の空襲の激しい最中に書かれた『先祖の話』を思い浮かべました。柳田さんは、お国のために戦った英霊の中には、若くして子孫も残さずに斃れていった人たちが多勢おられる、「では子孫をもたないその霊を、一体誰がお祀りするのか?」と、本当に切々と問題提起をしておられました。お国のために命を捧げた戦士の霊は報恩の義理からして、国が祀るより他ないのだとの結論になります。それに通うかのような心温まる文章を、三好先生は判決文として書いてくださいました。判決の論理の正当さと共に、先生にはやはり英霊に対して何か心情的な思い入れのようなものをお持ちだったのではないかと感じていたのですが、いかがでしょうか。

三好  裁判官であったもののモラルとして、判決についてのコメントは、差し控えたいと思います。あの判決を離れて申し述べますと、私は、昭和十八年十二月から終戦直後までの二年弱の期間、海軍兵学校に学びました。私共の先輩も多くの方々が靖國神社に合祀されているのですし、現在の私たちがあるのは二四六万余柱の英霊のお陰であるというのが偽らざる気持ちです。最近、論じられております新しい追悼施設とも関連しますが、「追悼、即ち、悼み、悲しむ」というだけでなく、大事なことは、お国のために命を捧げた方の功績を讃える、顕彰する気持ちではないかと思います。昨年も今年も八月十五日に靖國神社にお参りしましたが、大勢の方々がいらっしゃっていました。ご遺族の方々もそうでない方々も「どうもありがとう。私たちをお護り下さい」と、そういう気持ちを抱いておられるからこそ、お参りされるのでしょうね。

私共としては、御霊に対するこういう気持ちがあるのです。ですから「追悼のためだけの施設を造り、そこでは死亡した北朝鮮の工作員も一緒に追悼するのだ」というようなことを言っている追悼懇の委員の意見などは、到底受け入れられないものなのです。







小堀  国民が自分たちが現在享受している平和についての感謝の祈りを捧げる場が靖國神社である。つまり、誰のお陰で戦後の日本がここまで立ち直るだけの土台を守り得たかを考える一種の道徳教育の場が靖國神社であり、このお社には教育施設としての意味合いもあるのではないでしょうか。そうであればなおさら、ここに思いを致すべきは国民の教育に責任を有する立場の人間なのであって、例えば文部科学大臣には靖國神社に対する崇敬の心を表す代表者として、その模範を示して頂きたい。それが青少年の道徳教育にどんなにプラスになるか。総理大臣は幸いにして、去年、今年と二回、既に参拝してくださった訳ですが、年に一度といわず、春秋の例大祭にぜひいらして頂きたい。またその参拝を恒例化していただくためにも、何とか世論を盛り上げて行きたいと思っております。

ただちょっと気になりますのは、未だに「総理大臣の靖國神社公式参拝は、違憲である」という声が聞こえてくるということなのです。内閣官房でも、今年四月の総理参拝を、「私的参拝であった」と言い繕っているようなところがありますが、一体何をそんなに気にしているのでしょうか。総理の公式参拝が違憲ではないということは既に昭和六十年に内閣官房長官が召集した靖國懇談会が結論を出しておりますし、何もそんな懇談会を組織しないでも既に戦後だけでそれまでに歴代十人の総理大臣が合計五十六回参拝しておられます。この実績を「前例」とするだけで十分に合憲を主張できたはずです。

三好  総理などの靖國参拝の合憲・違憲問題と、いわゆるA級戦犯をお祀りしているという問題とは、ぜんぜん性格の違う問題なのですね。その違う問題が一緒に論議されているし、それに加えて、他国からの干渉がミックスされている。そのため総理などの参拝の是非の論議は、純粋に憲法にいう宗教的活動に当たるかどうかの論議ではなくなってしまっています。

小堀 いわゆる歴史認識ですね。これにつきましても、私共は「東京裁判史観の克服」ということを、もうかなり前から唱えておりまして、「お前は口を開けば、十年一日の如くに〈東京裁判史観の克服〉を言うけれども、いったいいつまで同じ題目を言っているんだ」と、からかわれることもありますけれども、私はその本当の克服を見届けるまでいい続けるつもりです。東京裁判には法的根拠はなく、いわば検察側であった連合国でさえあの裁判の法的根拠の欠如と審理の誤りを認めている。国際法上でも日本国有罪の決め手とされた《侵略》ということの定義は、所詮非常に難しいことであり、今でも完全な合意は得られていません。だいいち、それは昭和二十七年四月二十八日に講和条約が発効する以前の出来事で、即ち戦争継続中の出来事である。裁判によって死刑を宣告されて処刑された方々は、言ってみれば戦死なのです。しかしこれだけ意を尽くして説明しても依然としてあの追撃戦で命を奪われた殉難者たちを"戦犯"呼ばわりをするという風潮が改まらないことに、私共は非情に苛立ちを覚えます。

三好 おっしゃるとおりです。わが国を惨憺たる敗戦に導いてしまい、国民の生命財産を喪失してしまった当時の国家指導者の日本国民に対する責任は重いと思います。いってみれば会社を潰してしまった経営者の責任ですね。しかし、これは、それが国際的な犯罪を構成するかどうかということとは全く別の問題です。当時の国際法にはなかった「平和に対する罪」等の事後法を(にわか)(こしら)えて、戦争犯罪人として処罰するようなこととは別問題、その区別を国民が認識し、理解するに至っていないことは、非常に残念なことです。

小堀 私も確かに連合国の言い立てる「罪」とは別の道義的責任、特に政治というものは結局は「結果の倫理」ですから、戦争指導に失敗して敗戦を招き、人命と国土に大損害を蒙ったことの政治的な責任はあると思うのです。ただ、道義的責任というのは、これは果たして何人(なんぴと)がそれを糾弾する資格を有しているのかという、人間の倫理の根幹に触れてくる問題もあると思います。それから政治的責任の中の道義的側面についてですが、これは幸いにして近年、当時の東京裁判が審理の範囲とした昭和三年以降、具体的には張作霖爆殺時件から満州事変の勃発、そして盧溝橋における支那事変の勃発、その辺りの歴史研究が随分と深まってきております。やがては歴史の審判というようなものが、誰が見ても、或いは百年の後から見て、それが妥当であろうというような結論に落ち着いていくのではないか。少なくともその意味での東京裁判史観、つまり「日本が一方的に陰謀、謀略を企んで戦争を起こして、そしてそれをきっかけにして大陸制覇を目論んだのだ」というような見方は是正されてはいくだろうと思いますけれども、一体それが定着して、世論の支えになるのはいつのことかということについては、前途遼遼の気がします。

三好 私が常々不思議に思っているのは、韓国が"A級戦犯"の合祀を問題にすることです。日韓併合は東京裁判でさえも全く問題にされなかった。"A級戦犯"と韓国とは、全く無関係です。まして日韓併合は、戦争によるものではなく、当時の国際情勢を背景にし、関係国の理解も取り付けて締結した条約による併合です。当時の日本は、総合的な国力において、弱体化した李王朝に対しはるかに優位に立っていました。しかし、それをもって「力による征服」であり、併合条約は無効だなどと言い出すのなら、ポツダム宣言の受諾だって無効となる。圧倒的武力を背景に、受諾しなければ、「迅速かつ完全な破壊あるのみ」といわれて無理やり受諾させられたのだから、無効ということになる(笑)。日本側は、どうして韓国の主張にはっきりと反論しないのですかね。

小堀 やはりマスコミがまず既成の固定観念に縛られていますから、そのマスコミに叩かれるのが怖いのでしょう。そのマスコミ界ですが、私は結局あの六年八ヶ月の米軍による占領時代の病弊の後遺症が未だに治っていないと思うのです。占領軍の検閲の手法は、事後検閲であったために、発売禁止措置からくる損害を恐れて印刷物は全て自己規制をするようになりました。これが習い性となってしまって、「何か事が起こったら厄介だから、ここのところは黙っておこう」とか「この表現は削っておこう」というような配慮が先に来る。端的に言えば言論の自由への侵害に対してひどく鈍感になっている。自由を守るために戦うよりも先ず全ての厄介ごとを避ける、我が身一つの安泰をはかるという姿勢が一般の風潮と化した。それは非常に恐ろしいことだと思います。




(以下略)









平成14年12月25日 戦友連407号より


【戦友連】 論文集