神社宗教






さて、一般的神社の性格や理念から述べることとする。

我が国古来の神社宗教は、治水神社・氏神様・産土神社・鎮守の宮などに見られるように『地域宗教』という基本的性格のもと、地域社会に貢献せし地域集団の恩人の神霊等、恩義ある人や高徳の人の霊を崇拝し、地域社会(公)をもって『祭り』『祀る』という、凡そ他宗教とは趣を異にする〔個人的信仰対象ではなく地域集団の信仰対象であり、来世への理念や教義を持たず、又、遺体を祀らず葬儀を行わず、霊魂のみを祀るという〕ところの、世界にその類を見ない性格を有するものであり、そして、生前の遺業遺徳を偲び、感謝報恩・慰霊・遺徳顕彰の道義的観念に立脚した、創立の主旨並びに祭祀理念を持つ、日本独特の宗教である。そしてその祭神は人の霊であって、ゴッド・エホバやアッラーや他宗の神とは異なるものである。こうした性格や主旨・理念は、他の宗教概念ではとらえられないものであって、それぞれの宗教の持つ信仰対象・性格・理念等の特性とは別のものである。

尚、弱き人間がその崇拝する対象を頼りて祈願を込め信仰するのは、あらゆる宗教を通じての自然の姿であり普遍的なものであって、それぞれの宗教の持つ信仰対象・性格・理念等の特性とは別のものである。

尚また学者の中には「神道云々・・・」「国教云々・・・」などと難しい神道学によって神社神道を説明しようとしたり、或は又、明治初期の一時的な神仏分離政策や、それが為に発生した廃仏毀釈運動を持ち出して、神社宗教を批判している向きもあるが、神社宗教は『のりと』によっても判るように、そのような難しいものではなく、一般的な平易な道義観念に基づく、古くからの民衆的・慣習的なもので、以前から古神道や教派神道によって葬儀が行われていた一部限られた地域を除いては、殆どが政策等には関係なく、仏教とも併存混交して来たものである。






この神社宗教は神道宗教のうちの一派であって、古神道や教派神道等、他派の神道とは趣を異にするものであるが、昔から他派の神道信者も仏教者もその他の宗教を信ずる人々も、地域集団の構成員として、地域集団の神社を、寄り集いて『護持』し『お祭り』して来たものである。

福井・岐阜県境に『夜叉が池』という池がある。その畔に夜叉が池神社という神社があって、村人達が集団(公)で護持・祭祀している。その神社は、昔この村が旱魃で危機に瀕したとき、雨乞いをしていた庄屋の夢枕のお告げを信じ、庄屋の姫が嫁入衣裳に身を包み、池の主に嫁入り(入水)した。そして慈雨に恵まれ村は救われた。この姫の霊を祀り、村民(地域集団=公)によって毎年お祭りが行われ、『のりと』と『般若心経』(神仏混交)があげられているのである。

木曽三川の宝暦治水工事は知らぬ者はないであろう。そしてこの時の薩摩義士を祀る治水神社は、昔から地域集団公的護持であり、公式参拝が行われている。

薩摩義士のうち、安八郡輪之内町内で亡くなった八名の霊を祀る神社が、昭和五十五年、町内の人々によって新しく創建せられた。同年十月五日にその鎮座奉祝祭が薩摩藩主の子孫を迎えて行われ、同町長は勿論、上松岐阜県知事も参拝されたのである。

こうした神社の地域集団(公)護持・公的参拝に反対する者がいたとすれば(現在は一人も聞かないが)そういう者は、こうした祭神の恩恵を受けた地域内に居住する資格なしとさえ言い得るのである。

以上の如き性格・理念が『地域集団宗教』たる神社宗教の基本的特性であって、靖国神社もこの特性に立つものである。従って、英霊達の犠牲の上に今日の日本があるということや同神社の特殊性と共に、ここにその国家的地域集団公的護持(国家護持)・同総代公的参拝(公式参拝)が行われて然るべき所以が存するのである。






惟うに日本人の一般的宗教文化は、八百萬神信仰に源を発して、広大・寛容、お宮でもお寺でも教会でも、何様が祀られている祠でも、同じように礼拝するという自由奔放にして自在無碍、一つの宗教を固く信奉するが故に、宗教に大切な寛容性を失い、他宗を非難攻撃し、果ては宗教戦争を起こす様では、衆生済度という宗教の目的使命に(もと)るものであって、信教の自由を唱える資格なしとさえ言い得ると思う。

それはさておき、靖国神社もその創立の主旨並びに性格・理念は、神社宗教に基づくものであって、国家護持・公式参拝反対者が言うような軍国主義などとは凡そ縁遠い、治水神社や鎮守の宮と同様のものなのであるが、これを理解出来ない向きも多い。

一国が戦争状態に入れば、諸々のことどもが、戦争遂行のために軍事色濃厚となり、国を挙げて軍事優先となってゆく有様は、どこの国とても当然そうであらねばならない有様であろう。宗教とても例外ではなく、濃い戦時色となってゆくのである。かつての日本でも、全国の寺社で戦勝祈願が行われ、そして『百社巡り』などが津々浦々迄行われたものである。靖国神社はその祭神の故に特に厚く祈願が込められ広く崇拝されたものであるが、こうした戦時中の特別な在り方を挙げ、それを以て直ちに軍国主義に結びつけることは誤りである。若し是を軍国主義に結びつけんとするならば、”軍国主義の定義”を変えねばならない。






靖国神社を戦争や軍国主義の象徴のように言う向きもあるが、それは東京裁判や占領政策(特に教育)に翻弄された戦後風潮の誤りである。大東亜戦争には、後に述べるような必然性・正当性があったとは雖も、苦しく悲惨な戦場裡を体験した者は、二度と再びこのようなことがあってはならないと、身を以て痛切に感じているものである。その思いは、戦場を体験していないものよりも何倍も強く、そして真剣である。()してや悲惨な戦場に命を落とした靖国神社の英霊達は、誰にも増して戦争反対者であり平和希求者である。この霊を祀る靖国神社が、何故軍国主義につながるのか私には理解できない。






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