二、大東亜戦争の原因と経過

(二)歴史とその背景



古来、敗戦国の国民が戦勝国に対して復讐の念を燃やし、いつの日にかその恨みを晴らそうとしていたことは、欧州興亡の歴史や、日本及中国の戦国史でも明らかである。これを恐れたアメリカは、極東裁判に於いて、戦争をはじめたのは日本軍閥であり、連合国も日本国民も、等しくその被害者であるという理論を宣伝した。無智且つ正直な日本国民がまともに其の嘘言を信じたのはそもそも禍のもとであった。

又、アメリカが進駐して来たら、男子は去勢され女子は犯されて、日本国民族は絶滅させられるという流言すら囁かれていた。そんな時「国民は悪くない、悪いのは軍閥だ」という連合軍の巧妙なトリック宣伝は、内心其の流言を恐れていた国民に安堵感を与え、いとも簡単にその謀略に引っ掛かってしまったのである。

事変や戦争中、米英討つべしと、過激な論理で国民を鼓舞し、大東亜戦争を支持していた新聞も、一転して軍閥攻撃の急先鋒と化した。占領下にあっては、これも已むを得ないこととは言いながら、戦後四十余年を経た今日、尚この論調を変えていない。

歴史は百年を経なければ正鵠を期し難いと言われるが、戦後四十年経過して、識者の間で漸く真実が語られはじめているのは喜ばしい現象である。


大東亜戦争は既に歴史の中に入った。我々は過去の歴史を土台とし、日々歴史を作り、そしてこれを次代に伝えているのである。歴史を見る上で大切なことは、それぞれの時代背景を踏まえて考察すべきである。

例えば赤穂浪士の討ち入りは、現代では殺人集団の暴行になるが、今に至るも人々の心を打っているのは、主君の仇を打つということが、その時代の道徳であり、四十七義士が身を以てその道徳を実践したからに外ならない。

現在、封建制度がよいと言う人はおそらく一人も居まい、しかし戦乱に明け暮れた戦国時代に終止符を打ち、戦争のない平和な世にするには、立憲君主制や議会政治などを全く知らなかった時代に、家康には封建政治以外に選択の道はなかった。


一旦国を挙げての戦争に突入した以上、それに賛成であると否とにかかわらず、戦勝に向かって邁進するのは、国民として当然の務めであり、それが当時に於ける道徳である。特攻隊が一身を顧みず戦艦に突入したのは、当時日本人の最高道徳であり、末代までも語り伝えなくてはならない日本精神の精華である。

戦後、戦争に協力したのが間違いであるとか、或は自分が戦争に協力しなかったことを得々として自慢する輩も居るが、それこそ、その時代の国民道徳を実践しなかった卑怯者であるのを自ら白状し、吹聴している様なものである。国民としての義務と責任を放棄した恥ずべき非国民である。その時代の道徳を践むことが出来なかった者が、どうして今の時代の道徳を守ることが出来ようか。


上述の如く義務と責任とは、先人達がその時代時代に於ける情勢、思想、理念、道徳などの背景に基づき、最善を尽くして祖国を守り、育てて発展させてきたものである。今日のように自由で平和で豊かな日本及び台湾が、戦後忽然として生まれたものではない。先人の築いた基盤の上に立ち、その延長線上に出来上ったものである。


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