英霊の慰霊顕彰の中心は
靖國神社の他に有りえない
―――騙されるな! 新構想の欺瞞に―――







まえがき

本稿が読者諸賢のお手許に届く頃には、小泉旋風に沸いた参議院選挙の結果も判明し、恐らくは、小泉総理の真価が問われる自民党・公明党保守党連立政権政治に対する、野党のみならず与党内からの批判牽制の声が、各メディアを通じ国民の耳に聞こえ始めることであろう。

中でも、明日の日本の国家像を占う小泉総理の「靖國神社参拝宣言」に対する賛否両論の論議は、八月十五日が近付くにつれて、例年にもましてヒートアップするに違いない。マスコミはともかく、政府与党内部でも異論を唱えるものが多く、七月十二日プレスセンターで行なわれた党首討論会で、「心ならずも戦場に赴き国難に殉じた多くの一般の戦没者、しかもその犠牲の上に今日の平和と繁栄が築かれたことを思うとき、その御霊に心からの哀悼の意を表することは、首相として当然の行為であり、一握りのA級戦犯が合祀されているから参拝しないなどと言って参拝しなかった方々の考え方には、従来から納得が行かなかった。」と発言し、「日本には日本の事情がある。靖國参拝は戦争を美化したり正当化するものではない。」と、八月十五日に靖國神社に参拝する方針に変更はないことを強調した小泉総理は、その夜、中韓両国から帰朝した山崎・冬柴・野田の与党三幹事長の、「中国首脳部は総理の靖國参拝に極めて神経を尖らせているので、慎重な対応が必要」との報告に接し、「政府与党にはかり、熟慮する」と答えた。

「熟慮する」との日本語の表現は、政治の世界でもビジネスの社会でも、一般的には婉曲な否定と受け取られているので、我々は小泉総理の靖國参拝決行を信じて疑わないが、聖域なき構造改革を標榜し、自己の方針に従わないものは如何なる勢力でも断固排除するとの政治生命を賭しての信念の体現とその実行力の試金石が、この八月十五日に訪れるのである。しかも後述するように、靖國問題においても他の行財政改革同様に、主たる抵抗勢力は自民党内部の守旧派であり、靖國問題の挫折は小泉政権の短命に繋がる。今の政界人で小泉の右に出る大宰相の資質を持つ人間は当面見当たらない。靖國参拝が政界を混乱させ政界再編の端緒とでもなれば、今度こそ永田町論理が意味をなさず、国家理念を共有する真性保守党の誕生も夢ではない。そのためにも、偏しつ堕落した自民党の解体も辞さずに日本改革に猪突猛進する小泉純一郎を支援し、その長期政権に意義あらしめることが、我々心ある国民一般の使命ではなかろうか。




社民党辻本清美衆議院議員の
靖國問題に関する質問に対する
政府答弁の怪



七月十一日の深夜、何気なくテレビのスイッチを捻ると、NHKの画面に社民党云々と政府は靖國神社を「わが国における戦没者追悼の中心的施設」と位置付けてはいない、との穏やかならざる情報が目に飛び込んできた。そんな馬鹿な話があってなるものかと、八方手を尽くして真相の究明に当たった。その結果次の事実が判明した。社民党との間で本問題について何回かの国会での質疑応答があったのであろう。六月十日の閣議で決定されたという答弁書の内容は多岐に亘っているが、その中でもっとも肝心な二点について論及してみたい。正確を期し、且つ読者諸賢に行間に滲む微妙なニュアンスを感知していただくために、敢えて問題点の全文を記載した後で痛評を試みる。

  1. 『ご指摘の質問趣意書に対する答弁書等において、「国民や遺族の多くが、靖国神社をわが国における戦没者追悼の中心的施設であるとし」と述べたのは、靖國神社に合祀されている先の大戦による戦没者が極めて多数に上っていること、各界・各層にわたる有識者によって構成された「閣僚の靖國神社参拝問題に関する懇談会」が、昭和六十年八月九日に当時の藤波内閣官房長官に対して提出した報告書において、「国民や遺族の多くは、戦後四十年に当たる今日まで、靖國神社を、その沿革や規模から見て、依然としてわが国における戦没者追悼の中心的施設であるとしている」とされていること等を踏まえてのものである。』

    と述べ、『政府としては、靖國神社を「わが国における戦没者追悼の中心的施設」であると位置付けているわけではない。』という。

  2. 『いわゆる戦没者追悼施設には様々なものがあり、これらを一概に比較することは困難である。例えば、お尋ねの米国のアーリントン墓地については、戦没者等が埋葬された米国政府の施設であると承知しているところ、靖國神社については戦没者等を祭神として祭る宗教法人に属する施設であり、千鳥ヶ淵戦没者墓苑については遺族に引き渡すことができない戦没者の遺骨を納めるための国の施設であると理解しており、これらは同じ性格のものでないと認識している。』

    『靖國神社及び千鳥ヶ淵戦没者墓苑の性格については右に述べたとおりであり、いずれもいわゆる戦没者追悼施設として重要なものとされていて、戦没者の追悼を行なう上でいずれか一方がより適切なものであるとは言い難いと考えている。』




上記の政府答弁書は、先の野中発言や公明党の
「国立戦没者墓苑」新設構想に迎合する
靖國神社の本質を弁えない謬論で、理解に苦しむ。



答弁書にある藤波官房長官の談話「靖國神社は戦没者追悼の中心的施設である」との政府見解に基づき、当時の中曽根総理が靖國神社公式参拝を行なったのではないか。その後、この政府見解は現在でも変わっていないと、我々は事ある度に聞かされてきた。この見解が我々の早とちりに過ぎなかったのであれば、その不明を恥じるのみであるが、国民や多くの遺族がそのような認識にあったことを認めている以上、サヨクの好む国民主権の立場からも当然、政府としてはこの見解の正当性を認めてしかるべきである。

今回政府は「靖國神社を戦没者追悼の中心的施設」とは位置付けてないと答弁しているが、それでは国民や多くの遺族の靖國神社に対する意識が変ったともいうのであろうか。これは全く事実を無視した修辞上のテクニックを利用した官僚的詭弁以外の何ものでもない。

政府の見解では、現在わが国には「戦没者追悼の中心施設」はないことになる。靖國神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑との性格の相違にふれながら、いずれが戦没者追悼の中心的施設であるかは、にわかには断じ難いというに至ってはまさに言語道断、靖國神社に神鎮まる二百五十万英霊を冒涜することこれより甚だしいものはない。

このことは、言外に千鳥ヶ淵戦没者墓苑を外国の無名戦士の墓と同等に位置付け、「国立戦没者墓地」とする意図がみえみえである。顧みれば昭和二十八年、千鳥ヶ淵戦没者墓苑が建議された時、将来戦没者慰霊に関し国民的観念が二元化される危惧なしとせずとして、日本遺族会及び靖國神社側は、「建設場所は靖國神社境内にしてもらいたい」と主張したが、当時の厚生省引揚援護局長田辺繁雄氏は「墓の性格は、端的にいえば、戦没した者の無縁遺骨を収納する納骨施設であり、外国における無名戦士の墓とは異なる。外国における無名戦士の墓は、国営の戦没者の墓から一体を移し、これによって全戦没者を象徴するものとする建前をとっているが、今回国において建立する墓は、このような趣旨は含まれていない。したがってこの墓は、全戦没者を祭祀する靖國神社とは根本的に性格を異にし、両者はそれぞれに両立しうるものである」

その危惧が、独立主権回復後半世紀を経た今日、政府の無節操なご都合主義によって現実化する危機に直面せられているのである。田辺局長の文言を読めば、米国のアーリントン墓地に相当する日本における戦没者追悼の中心的施設は、靖國神社以外に有り得ないことは一目瞭然であり、これを否定するが如き言辞は、政府の国民に対する背信行為に他ならず断じて容認し得ない。戦後政治の歪みも極まれリと言うべきか。




かかる事態に立ち至った背景はなにか



平成五年、内紛による自民党の分裂により、いわゆる五十五年体制の終焉を迎え、保革連立政権の時代となった。三十八年間、狎れ合政治により甘い汁を貪ってきた自民党は、半年余りの野党暮らしに耐えきれず、理念の全く異なる社会党と手を組み、しかもその党首の村山富市を首班に担ぎ上げ、政治の実権を取り戻した。当然思想的にも左傾化にブレーキをかけることが出来ず、将来に禍根を残す平成七年の「村山談話」を許す過ちを犯した。

この村山談話は、社会党の主導で終戦五十周年に行った「国会謝罪決議」が中途半端に終わったことに業を煮やし、私怨を晴らすために国を売ったもので、曰く「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわえアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。私は、未来に誤ちなからしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からお詫びの気持を表明する」という東京裁判史観そのもので、事ある毎に中国や韓国からの威嚇恫喝の「歴史カード」の切札として使われている。

その後自民党の連立の相手方はいろいろと変わったが、何故か中韓両国乃至北朝鮮には、この歴史認識の下に弱腰・謝罪外交に終始している。今回の小泉総理の靖國参拝に対する中国の執拗な非難も、その例外ではない。

尤も靖國問題が外交問題となったのは、昭和六十年八月十五日の中曽根総理の靖國神社公式参拝以降で、A級戦犯合祀が主たる抗議の理由と一般に言われているが、それより六年前に大平総理がA級戦犯合祀が公開された直後の春季例大祭に参拝し、国内では物議を醸したが、当時中国からは反応は何もなかった。A級戦犯合祀の経緯については、本会報「戦友連」六月号の巻頭言に詳細報告されているので、ここではこれ以上触れないが、日本の謝罪外交は、昭和五十七年の第一次教科書誤報事件において、当時の宮沢官房長官が教科書検定に「近隣諸国条項」を付加した時に始まる。

話はやや横道にそれたが、「国立戦没者墓地」新設構想急浮上の背景の結論を急げば、今回の国民の心を捕らえた小泉総理の靖國参拝宣言に対抗して、中国のご機嫌を損ねることなく、且つ又違憲の謗りを避けて国家の義務である戦没者慰霊の方途の模索であり、先に野中広務氏の提案したA級戦犯分祀論と靖國神社の宗教性を除くための特殊法人化論の焼き直しに過ぎない。

只ここで警戒しなければならないことは、戦没者に対しての国家としての慰霊という意味で普遍性を持つが故に、靖國神社の本質を弁えない人々にとっては、容認され易いということである。

この点について、埼玉大学の長谷川三千子教授の「戦争における死者は、国のために命を捧げた人々であるから、国として祀り・弔ひを行ふのは当然のことであるが、そこでも大切なのは、そこに生者としての価値観やイデオロギーを持ち込んではならない」というご意見は、まさに正鵠を射て私の胸を打つ。




ここで、われらを勇気づけてくれる有識者の
靖國神社参拝積極論を二、三紹介しよう。



台湾生れで日本在住の評論家・黄文雄(こうぶんゆう)氏は、正論八月号で「中国政府が小泉首相の靖國神社参拝に反対する本当の理由」とのテーマで、中国人と日本人の国民性が全く相反していることから説き起こし、「靖國神社参拝をめぐる日中の対立は、『死ねばみな神となり、敵も味方もなくなる』という日本の精神文化と、『末代まで憎しみ続ける』という中国の精神文化との摩擦である」とし、只日本が一方的に中国の意向だけに阿諛迎合していては、本当の友好関係ができるはずがない。お互いが相手の文化を尊重することこそ真の友好ではないかと日本に苦言を呈し、最後に、日中の真の友好は江沢民首席の靖國神社公式参拝から、とみるべきであろうと結んでいる。

又作家の井沢元彦氏も「サピオ」七月二十五日号で、黄文雄氏と同じ様に靖國問題は文化の問題であると指摘し、「死者に鞭打つ文化に迎合するな」と、公式参拝に反対するすべての政治家にやんわりと苦言を呈する一方、「靖國」「教科書」の二つの問題は「戦後民主主義者」のご注進・先導があり、露骨な内政干渉であると言う共通点がある。そして何よりも日本のアイデンティティの凌辱に他ならないのだと、偏向マスメディアへの痛烈なパンチを与えている。まさに同感の至り。

更に小林よしのり氏は、例によって「ごーまんかましてよかですか」と「あの戦争に国民を駆り立てたんは『朝日新聞』などが作った世論ではないか」、「『無宗教の墓地』なんてあってたまるか!、『国立墓地』それは国が造る新興宗教かカルト宗教だろう!」と相変わらずの健筆ぶりを誇っている。




おわりに



最近、いわゆるA級戦犯合祀問題と絡んで、戦争指導者の個人的戦争責任を問う論議がジャーナリズムを賑やかにしているが、最早紙面も尽きた。いずれドイツとの比較などを交えて筆を起こしたいと思っているが、あの辛口の評論家・田原総一郎の最近の労作「日本の戦争」のあとがきで、「・・・そして何より、あの戦争が始まった原因は軍部の暴走ではなく、世論迎合だった。なぜ、戦後我ら日本人は戦争責任を曖昧にしてきたのか。この間、いろいろいわれてきたが、この作業をやってきて、私はそれをはっきり理解した。」と述べていることを感慨深く読んだことを付記して擱筆する。




 佐藤 博志  記



平成13年7月25日 戦友連390号より


【戦友連】 論文集